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2011年5月15日日曜日

神聖かまってちゃん@ETV特集


先週の日曜日、NHK教育の『ETV特集』にて神聖かまってちゃん・の子さんが1時間に渡り、取り上げられました。

タイトルは『町に僕のロックは流れますか?~ネット世代のカリスマ“現実”に挑む~』というもの。

冒頭から、千葉県のとある団地の一室、の子さんの部屋が映し出される。蹴ったり殴ったりでボロボロになった壁とふすま、意味不明な大量の落書き、火をつけた跡。カメラは、奥にある自室をスタジオに改造した部屋に入り込む。

学生時代にいじめを受け、高校を中退。以後、ひきこもり同然の生活を送っていた彼が、「唯一と言っていい、人との接する場所」であるインターネット上に自作の曲をアップロードし、2ちゃんねるで宣伝し、叩かれ、それでもめげずにやり続け、やがて次第に認知されていくようになる。
そんなナレーションとともに、内容は、昨年12月にメジャーデビューしてからの彼の「仕事としてバンドをすることにおける葛藤」。今年4月までの彼の社会との折り合い、大人との対立を重点的に描こうとする。

の子「人間誰にだってあるんじゃないですか?もっと見られたいなあとか。復讐したいなあとか」
ディレクター「何に復讐したかったの?」
の子「世界にだよ」

自ら制作したPVと、ネット上の反応。生配信やライブ、映画撮影などの活動をなぞる。かつて自分のペースで制作活動を行なっていた頃と、今の環境とは違うことを表す。
「作曲している風景を撮りたい」と頼むディレクターの作曲部屋への入室を拒み、理由を「あんたが嫌いだから」と答える。「ほっとけ、うるせえ、黙れ、死ね」と言葉を並べ、その後取材陣との連絡を途絶えさせる。今年2月の渋谷AXでのライブ後はNHKの取材に関してマネージャー・劒さんに不満を爆発させ、怒りで全身を震わせながら、楽屋通路で叫ぶ。

「俺だって一応全部罪悪感感じてるんですよ。NHKさんにだってしわよせあるし。誰も感じてねえだろ?罪悪感なんて。俺が全部抱えてるんだよ!」

そんな彼に対し、劒さんが「減らそうよ。一緒に考えよう。そんな役に立たないかもしれないけどさ」となだめるが、「くそったれ…」と言いながら泣き出す。
その後のインタビューで「寂しさは原動力」と、潤んだ目で取材に答える彼。
不安なとき「こんな人生でいいや」と思いながらも、曲が出来たとき、「俺はこれを持ってる」と自分の中でしか流れていない音楽を見つけたときは自信になるという。
降りだした雪を喜び、外に出ていく彼。レコーディングが上手く行き、手ごたえを感じた様子の彼。生配信で、ノートパソコンの向こうにいる人々に話しかける彼。
“現実”と自分との狭間にいる彼の様々な表情が映し出され、やがて3月11日へ。東日本大震災が起き、レコーディングスタジオから外へ避難した神聖かまってちゃん。ヘルメットを被って避難している人たちの中で、彼はノートパソコンを手に持って配信を続ける。
地震の影響により4月1日の両国国技館でのライブは見送りに。2ちゃんねるではファンから嘆きのコメントが綴られ、街の灯りは消えていった。彼に迫っていたはずの“現実”が、向こうから遠ざかっていく。
「現実社会が、の子から撤退し始めていた」
そんな中、神聖かまってちゃんはフリーライブ全国ツアーの決行を発表する。有名なライブハウスを巡る長期のツアーは、神聖かまってちゃんにとって初めて。そして生配信で、彼はノートパソコンの向こうにいるネットの人たちに語りかける。

「俺らはこれから始まるぜ」





自分にとって神聖かまってちゃんは「いじめ」「ひきこもり」「非・リア充」といったキーワードはそれほど重要ではないため、NHKの切り込み方が新鮮だった。

このテーマでなければNHKでは企画は通らないはずに思えたので、多少の違和感はあっても、不満は感じなかった。むしろ、企画通りに台本を作り、断片的な映像の中に物語を見つけなければならない制作側の“現実”を感じてしまった。その結果、ドラマとして枷になったのは結局、NHKの取材自体のようにも感じた。

僕の中で、の子さんは現実に挑むというよりは、自分自身に挑まなければならないことに苦悩しているように思う。
NHKの取材で「自分で自分がわからないんです、僕」と言っているように、ライブも、色んなメディア媒体の取材も、メンバーのことを「お前ら大っ嫌い」「いらねえ」と言ってしまうのも、相手に問題があるというよりは、彼の中で解決することで前に進んでいく気がする。それは本人が一番よくわかっていると思う。ドキュメンタリー中の枷となったNHKの出演も、アニメの主題歌も、売名のチャンスだ。わかっているけど、それができないときがある。適応できるかどうかは、自分の中で判断するしかない。
そして、昨年末に『GiGS』の取材に同行させてもらったとき、彼の部屋で最も忘れられなかったのは「俺はやっぱ、他人に恵まれている」という言葉だった。どう考えても、彼の境遇は奇跡としか思えない。当然、それは彼に類い稀な才能と行動力があるからこそ人が集まってくる。
マネージャーの劒さんも、daredevilのスエタカさんもコマツさんも、カメラマンの佐藤さんも森さんも、丹羽さんも、音楽ニュースサイト・ナタリーも、神聖かまってちゃんを取り巻く大人たちは、技術的にも人間的にもおもしろくて、豪華だ。イベンターのホットスタッフの野村さん、所属レコード会社のワーナーの野村さんにしても、の子さんのやることなすことに寛大で、むしろ歓迎しているくらいに思う。
そして、恐ろしいくらいに素直で正直者のmono君と、ライブ中の気配りも車の運転もこなすちばぎんという幼なじみの男2人。その雰囲気と唯一の女性メンバーというところで、入り口を格段に広げてくれているみさこさん。外見でも内面でもキャラクターが成り立っているメンバー3人。
“現実”が彼の行く手を阻むと言うのであれば、それを描くためには彼を取り巻く人々の存在を無視してはならない。神聖かまってちゃんの作り出す世界観は当然、の子さんによるものだけど、彼自身を描くとき、やっぱりメンバー3人の反応と言葉も重要だ。黒澤明監督の映画『生きる』だってそうだけど、本人と向かい合うよりも、周囲の人の証言によって描かれる真実だってある。

昨年の代官山UNITでのライブ後、非常階段で久しぶりに2人きりで30分くらい話したとき、渋谷WWWでのライブ中のケンカの話になった。「なんであのとき俺、mono君を殴っちまったんだろう。自分でほんと、よくわかんないんですよ」と言っていたのが印象的だった。
思うに、人は相手によって多少表情を変えるものだ。
彼のお父さんにしか、メンバーにしか、劒さんにしか見せない表情は確実にある。僕も、自分が見た、見せてもらえた彼の姿でしか彼のことが語れない。人によっては「それは違う」といったこともあって当然だ。NHKに見せた表情は、最初は無邪気にピースして笑っている顔だった。それが次第に仕事として形式的に撮らなければならない事情に彼と摩擦が生じ、の子さんから「うるせえ、黙れ」といった言葉が吐き出されたように思う。でも、怒鳴り散らしたと思えば、雪にはしゃぎ、濡れた靴に困りながら笑い、かわいい靴下を垣間見せる。
「それは違う」といった番組を見たときの違和感はあって当然だろう。の子さんは、人一倍、表情がころころ変わる人だから。「君には見せたい素顔があると思います」「悲しい顔を君には見せたいと思います」といった『美ちなる方へ』で歌われている顔がたくさんある。
僕も今、この日記を書いていて、自分の中にある記憶と言葉を紡いで勝手に物語にしている。勘違いだってたくさんある。でも、それも一つの彼の姿であることは間違いないと思っている。
丹羽貴幸さんのYOUTUBEでの『の子さんドキュメンタリー』、松江哲明監督のスペースシャワーTVでの番組『極私的神聖かまってちゃん』、入江悠監督の映画『劇場版神聖かまってちゃん』、そして今回のNHKでの番組『町に僕のロックは流れますか?』。
同じ神聖かまってちゃんを扱ったものでも、それぞれの映し出されるものは全く違う。入り口も、切り口も、描き方も、表情も。

『ETV特集』のドキュメンタリーを見ていて、番組が言うところの“現実”の正体が結局よくわからなかった。彼が対峙しているものがブレていた。精神的には揺れ動いていても、彼のやることにはブレがないと僕は思っている。
その証拠に、彼が3年前に作った『ロックンロールは鳴り止まないっ』のPVがある。往年のロックスターたちのYOUTUBEの映像を画面撮りしたもの。合間にの子さんのうつろな目から覚醒したような目が挿入され、その演出だけでロックンロールの初期衝動が表現されている。
映像の中にある、THE WHOのピート・タウンゼントがギターを床に叩きつけるのも、GGアリンが顔面を流血させているのも、ザ・タイマーズの忌野清志郎がヘルメットに丸サングラス姿なのも、彼はこのPVを作って以後、すべてやってきている。の子さんにとっての憧れが、PVにすべて詰まっている。いわば、その後のシナリオのようにも感じる。





彼は、この映像の中に行き着きたいのではないだろうか。
ここにやがて、生配信しているノートパソコンを床に叩きつけて破壊する彼の姿が映し出されれば本望なのかも知れない。

生配信の画面が映し出されたスクリーン。初めてパソコンを破壊した2009年12月24日、そこに最後に映った文字こそが、僕にとっての神聖かまってちゃんを表しているように思う。





偶然にもパソコンのログイン画面が映し出され、その意味が、別の意味に捉えることもできる光景。

新宿や渋谷駅前で熱唱して警察官に補導されるときも、1人で電車に乗っているときも、家でメンバーと話しているときも、彼の姿をこのパソコンはずっと見ていた。何の罪もないのに壊された不遇なパソコンであるが、これはパソコンなりの返答であり、彼への賛辞にも見えてしまう。
僕のビデオカメラのテープに映り込んでいる神聖かまってちゃんは、単純に、おもしろくて、たまにかっこいい。そしてシュールだ。深い闇が根底にあるのは、わざわざ描くまでもなく、表現においては言うまでもなく必要不可欠な要素だ。
もし僕が神聖かまってちゃんで作品をつくるとすれば、『の子 ロックしています』なんだろうと思う。
僕のテープにある神聖かまってちゃんはもうちょっとシュールで、けっこうマヌケで、たまに繊細だ。だいたい、撮ってきたオフショットは楽屋での子さんが女装しているのと、埼玉県坂戸市の夏祭りで元気いっぱいに歌っているのと、彼の家でPVの素材を親切に見せてくれたりした、まったりとした光景しか映っていない。

でも多分、これが自分にとっての神聖かまってちゃんなのです。


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