「ふざけんな!!!!!
音楽で世界が変わらなくても僕は自分が変われればいいんだ!!!!
自分という存在が何もないそれ以下の
クズのぽんぽこ太郎なんだ僕は!!!!!!!!!!!!!
なんで貴様に黙って勉強して世界を見ろとか
指図されなくちゃいけないんだよ!!!!!!!!!!!
今までそうやって僕は自分をだめにしてきた!!!!!!!!!
給食食った後のあの心臓がはき出そうになるくらいの思いが
ずっと続いてるんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
僕にしたらここで殺されるって言われる事も
批判されることもすべてがリアルなんだよ!!!!!
多分僕に嫌悪感を抱いてる人も現実で会ってたら
『あっ、そうなんですかー』で終わってるとこを
ここだと『むかつく、殺す』とリアルな返答がくるんだ!!!!!!
ライブってのは僕にとっては場所なんてどこでもいい
ライブが起こるのはライブハウスって
考え方自体おかしいんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!」
2年半前、2ちゃんねるのとあるスレッドでこのような書き込みを続ける人がいた。
自ら制作した楽曲をリンクし、
「だっせぇ曲w」
「音楽のレベルははっきり言ってひどい」
「君は本物の凡人で何もできない人間だよ」
このようなひとつひとつの批判と罵倒に対し、律儀に返答していた。彼は常に叫んでいた。「!」で埋め尽くしていた。たった1人で、孤独に、何かに立ち向かうとしていた。
「キチガイのフリした凡人で何が悪い!!
僕は特別になりたいんだ!
他になにもできないし何もないし結婚もできないし人生なんてなにもない!
音楽がなかったら本当になーんもないんだ!!!!」
それは、とてもイタイ行為に思われるのかも知れない。
バカなのかも知れない。病んでいるのかも知れない。結局は、無意味なのかも知れない。それでも彼は、自分で探し当てた新しい音楽表現の方法を見えない誰かに向かって提示した。
「あっじゃあインターネットを使ったアイディアを一つだすよ
僕はライブをする時家から出るのが
本当にめんどくさいと思ってたんだ!
だから家からインターネットを通じて
ライブ感をいかに伝えられるかを考えた!!
今の時代の子供は
自分からライブハウスに行くやつなんてそうはいないでしょ!??
ロッキン音ジャパン祭りとか行くとか
好きな彼氏のバンド見に行くとかなら別だけどさ
僕みたいな誰にも興味をもたれない人間が
いかにオナニー現場をみせれるかをこの蛆虫脳みそが考えたんだよ
色々ぐーぐるってリアル動画配信サービスとかを見つけたんだよ!
みんなここで家からライブすればいいんじゃないかな!!?
これならバンドメンバーいなくても一人でできるよ!!!!!!!
あとは己の技量次第じゃない!!?
この前僕がためしにライブするよってなのって
自分の曲でライブやったんだけど音ズレが激しいらしいから
ちょっとむずかしかったよ!!
知らない人につまんねって言われた!!傷ついた
でもうまく使えばうまい事できると思うよ☆^@^ 」
12月8日はジョン・レノンの命日。
僕は東日本橋から北総線に乗り換え、千葉ニュータウン中央駅に降り立った。
そして、音楽がなかったら本当に何もない、そして知らない人から"つまんね"と言われ続けた、彼の家に訪れた。
駅からは遠く、タクシーを使わなければならなかった。彼の家付近に着くと、似たような5階建ての団地が整然と並んでおり、近くには小学校があった。男児たちの乾いた笑い声が響いており、穏やかな風景でありながらも、なぜか殺風景にも思えた。
彼の家は団地の一室。玄関のドアを開けると、笑顔で迎えてくれた。
「はい、帰ってください!」
そんなジョークを交えつつも、きちんと部屋を片付けようとした形跡があり、なぜかお香まで炊いていた。いい匂いが充満していた。
そして部屋に入ってまず目に飛び込んできたのは、殴ったり蹴ったりしたのか、ボロボロに突き破られたふすま。家に火をつけようとでもしたのか、そこには焼け焦げた跡もある。
僕はビデオカメラを回していた。撮りたかった。なぜなら、彼にとってここはひとつのライブ会場だから。そして、彼のライブをずっと撮影してきたからだ。
パソコンの画面を見つめる彼の姿。
リビングにはボロボロに大破したノートパソコンがソファに立てられてあり、その下にノートパソコンが2台転がっており、テーブルの上には常用しているパソコンが開かれていた。
奥には『MUSIC STUDIO』とラベルの貼られたドアの向こうに、彼が作曲や宅録に使用する部屋があり、たくさんのキーボードやギターが置かれている。
「竹内さん、一回くらい来てるかと思ってましたよ」
「お菓子とか食べます?そこらへん自由に撮っといていいっすよ」
取材中もリビングに戻るたびに妙に気遣ってくれて、なんだか申し訳なかった。そして、部屋に入ってから僕はずっと感激していた。なぜなら約1年半前、彼がこの部屋で1人で作った音楽に魅了され、現在でも毎日のように彼の音楽を聴き続けているからだ。
彼はボロボロのふすまに指差して、「撮っていいっすよ、こういうのとか」と笑った。僕は「もはやアートですね」と言った。彼は笑いながら、「歴史です」と答えた。
彼にとっての歴史とは何だろう。
ボロボロのふすまの穴の向こうは真っ暗だった。それを絶望の暗闇と捉えるのか、未知であり美ちなる宇宙と捉えるのか。その答えを見出す一つの手かがりとなるCDが、12月22日に発売される。
そのタイトルは『つまんね』。
2ちゃんねるで『つまんね』と言われ続けた彼は、"の子"と名乗り、"神聖かまってちゃん"というバンドで遂にメジャーデビューした。
CDジャケットには、亡き母と一緒に写っている幼き日の彼の姿。そして背面にはウルトラマンレオの人形の前で光線を出すポーズをとる幼き日の彼の姿があり、1曲目の『白いたまご』のカウントを刻むベースが終わった途端にパアァーと広がる音の世界に、何も感じずにはいられない。
深夜から朝方に向かうようなアルバムに思えた。『さわやかな朝』ではかつての父と母との朝の光景が歌われ、「何かが違うと思っても 朝はね ニコニコしているぞ」といった叫び声が、なぜか物悲しく、切ない。
ボーカルエフェクターを多用し、子どものような声で歌う彼が作る音楽には、小学生の感性があらゆるところに感じられる。かわいさ、素直さ、残酷さ、愛くるしさが全部詰まっている。これを特別な感性だとは思わない。誰もが通ってきた義務教育期間、小学生、幼少の記憶を蘇らせる。インストゥルメンタルの『夜空の虫とどこまでも』は夜の暗闇に、言葉のない空白に、どこまでも続く着地点のない行き先に、自分自身の記憶を自由に投影することができる。
「死にたい」と連呼し続ける『天使じゃ地上じゃちっそく死』の直後、『美ちなる方へ』という微かな笑い声から始まる曲がある。皮肉や嘲笑にも受け取れるし、純粋な衝動を素直に表現したようにも感じ取れる。それは彼の「死にたい」が「生きたい」にも聞こえるのと同じで、生きることがやがて死ぬことである事実とも同じだ。表裏一体であることは音楽だけに留まらず、彼自身の存在に対しても言えることなのかも知れない。
「君には見せたい素顔があると思います」
「悲しい顔を君には見せたいと思います」
素直であることが、いかに『かまってちゃん』になってしまうのか。まるですべての自己表現活動が実のところ、単なる"かまってちゃん"なのではないかと気づかされそうなほどに、『つまんね』というタイトルが心に突き刺さってしまう。
やがて朝になる。
最後の『聖天脱力』は「おはようございます」という呟きから始まり、鳥の鳴き声、ヤカンの水が沸騰する音といったそんな朝の生活音が、夜更かししたときにTV番組『めざニュー』を見てしまったときの憂鬱な感情を思い出させてくれる。
「これからおやすみの方も…」
真っ暗の空の朝、おやすみも、おはようもしたくない気分。脱力感。そうでない方にとっても、そのような方にとっても、そんなありふれた世界を"世界観"と呼ばせるほどの音楽が、ここにある。
もう一枚のタイトルは、『みんな死ね』。
攻撃的なタイトルとは裏腹に、『自分らしく』『怒鳴るゆめ』『いくつになったら』『口ずさめる様に』などといった希望を含んだ歌詞がある楽曲が並んでいる。
その中でひと際目立つのが精神病の女の子のことを歌った『最悪な少女の将来』であり、彼が実際に服用しているとされる精神薬・リーゼが歌詞に登場し、「山手線に飛び込みそうな」少女はまるで自分のことでもありそうで、だからこそ、運命を呪って天空にどうしようもない怒りをぶつける『神様それではひどいなり』の凶暴さが映え、「神様、てめー、ぶっ殺してやる!!!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!!!」という歌詞が単なる攻撃的な言葉にも思えず、切なさのほうが勝っているように感じてしまう。それはアルバムに収録されていないシングル曲『夕方のピアノ』の"佐藤"への「死ね」についても言えることで、アルバムのタイトル『みんな死ね』についても言えることだと思う。
やり場のない苦しみが、希望の中に散りばめられている構成。
総じて言えることは、"切ない"のだ。
『ベイビーレイニーデイリー』は素朴な感情を歌ったラブソング。
6月の梅雨時期に作られた曲であることから、雨がテーマになっている。"傘"が心の壁のようにも感じられ、「雨が降ってたほうが 人たちは生きやすい」と、客観的に見た街の光景の中に自分自身がいるようで、僕だって、あの人だって、お互い傘を広げると邪魔になってしまう。狭い路地に入ればぶつかってしまう。そんなこと、誰でも知っている。「あえて言わないだけです」という言葉と、シンプルなピアノのメロディが繰り返される最後は、フェードアウトで終わることこそが正しいのかも知れない。
「僕はいつか 東京のど真ん中で 何千人の前で 存在を見せてやる」
『いくつになったら』の彼による自作PVは昨年2月にYOUTUBEにアップロードされた。
「自分という存在が何もないそれ以下のクズのぽんぽこ太郎」
彼が書き殴る先はもはや2ちゃんねるではなく、何千人、もしくは何万人の聴衆の前なのかも知れない。そんな過去の約2年間のドラマが、このアルバムのクライマックスで思い出させてくれる。
彼は機材のひとつとして、自分のビデオカメラを紹介していた。
そして、テーブルの上に置いてあるパソコンを操作し、「これでPVを作ったりしています」と映像編集ソフトと、数々の楽曲PVの素材映像を見せてくれた。
ここからすべてが始まったのだ。
このパソコンから作られたものがインターネット上で公開され、遂にはメジャーデビューに辿り着いたと言っても言い過ぎではない。そして神奈川県に住む僕のパソコンにも映り込み、実際にライブハウスに足を運ぶことになった。
『僕のブルース』の未公開カット、彼の祖母が映った映像、『黒いたまご』で通院していた精神病院で許可を得て撮影したシーン、ガラクタの山の上でギターを弾く女の子、『美ちなる方へ』の自転車で走るカット、彼の父が撮影した映像…すべて貴重な映像素材だった。
「そこで、弾いてくんね?」
ガラクタの山の上でギターを抱えるみさこさんに対し、優しい声でディレクションしている彼の演技指導の言葉が映像から聞こえてきた。
「ここを、こう撮ると…、逆光が…、いい…」
時間帯、季節、ロケーションに感動している彼の純粋な感嘆の独り言が映像から聞こえてくると、笑いが込みあげてきた。彼は本当に映像を作るのが好きなんだな、と思い、面白くなった。
「PVを作って、ようやく完成」
インタビューや配信などでも公言しているほど、彼の宅録音源はPVが制作されて、ようやく一つの作品となる。
『GiGS』の編集・野口さんが「ここまで見せたのって、初めて?」と聞くと、彼は「内容見せたのは初めてですね」と言い、「いや、竹内さんがせっかく来てくれたんで」と答えた。一時期、僕が撮ったライブ映像は彼に編集してもらい、彼にアップロードを任せていた時期があった。だからこそ、彼の映像を編集する場所を見せてもらえたのは嬉しく、自分にとっては神聖かまってちゃんの活動を追ってきて、約1年半、ひとつの到達点に辿り着いた気にもなった。
取材が終わり、少しばかり昔話に花を咲かせた。
「竹内さんが初めてライブ観たんって、いつでしたっけ?」
忘れもしない、昨年4月。
大阪の友人に『神聖かまってちゃん』を教えてもらい、YOUTUBEのPVを見て、下北沢屋根裏に足を運んだ。客は7、8人。それでも彼は今と変わらないパフォーマンスをしていた。中学生のように素朴な外見でありながら、まるで大物アーティストのような振る舞いをステージで見せていた。楽曲の素晴らしさとは裏腹のシュールなライブの光景に感動し、そして翌月から「撮っていいですか?」とメンバーに尋ね、ビデオカメラで彼らのライブを撮り始めた。
「初めて撮ったライブがだいぶ変わったもので…」
僕は、昨年5月のライブについて語った。彼が作った映像をスクリーンに投影しながら、VJ機材を使用し、映像と同期したライブだった。あのとき、『ちりとり』の歌詞が映画のエンドロールのように下から上へスクロールする映像をバックに彼が歌う姿が忘れられない。
「『ちりとり』良かったっすね!」
彼もあのときのライブのことをよく覚えていた。
そのまま『おいしい牛乳』を飲みながら、
穏やかな様子で語りかけてくれた。
「ぶっちゃけ、俺らの力じゃないんですよ。もともとは俺らがやってるのかも知れないんですけど、ネットの、竹内さんが上げてくれた動画とか、配信上げてくれている録画とかの重要さは俺も分かってるんで。竹内さんのああいった節があってどんどん広まっていった、って意味でそういったことで、全然、ほんと、俺らの力じゃないんですよ」
常に「俺は周りの人に恵まれていただけなんです」と繰り返し、感謝の気持ちを述べていた。おいしい牛乳を飲みながら。
「俺は楽曲よりも、ここに至るまでのプロセスが一番重要で、そこが一番面白いと思ってるんですよ。マジで、竹内さんはそのくらい貢献してるんで」
感謝。おいしい牛乳。感謝。おいしい牛乳。を続けていた。ときおり、おいしい感謝。牛乳。おいしい感謝。牛乳。かと思うくらい、おいしい牛乳をおいしそうに飲みながら感謝を続けていた。
彼は感謝を飲み、僕は牛乳されていた。本当に嬉しかった。
僕は、彼が自分のことをどう思っているのかなどは正直それほど重要ではなかった。彼の作家性、表現への気違いにも似た執念を心から尊敬しているからこそ、そんな彼の活動を伝えることだけが目的だったため、別に感謝されなくてもいいと思っていた。それはきっと、配信動画をアップしている人も同じ気持ちだと思う。だからこそ、一回一回のライブ映像に肉体的にも精神的にも疲れるくらい、カメラのパンやタイミングにも気を遣っていた。曲を聴き込み、構成や展開を熟知しているつもりでいたからこそ、音になるべく同期した撮り方をずっと考えていた。今年4月の渋谷屋根裏と下北沢屋根裏のライブ映像は、1年間撮影してきた集大成のものが撮れたように、誇りに思っている。
彼も感謝してくれているのかも知れないけど、僕のほうが、このバンドにずっとずっと感謝している。
神聖かまってちゃんのおかげで色んな貴重な体験をし、面白い人たちにも出会うことができた。
今でも新しい出来事があると、自分のことのように嬉しい。
自分自身も撮影に関しても雑誌で記事を書くことも勉強になり、何よりも"好き"という感情から始まった行為でドラマが動き出したことに、映画以上のストーリーを楽しんでいた。スクリーンという小さな枠に留まらない、神聖かまってちゃんの映画。それは映画化されることとは関係なく、彼らの配信こそがすでにドキュメンタリーだと思っているし、何よりも、2ちゃんねるで書き殴っていた彼の発言を思い出す。
「色々ぐーぐるってリアル動画配信サービスとかを見つけたんだよ!
みんなここで家からライブすればいいんじゃないかな!!?」
その活動がいまだに続いており、彼の歌詞にある「誰彼理解できないことに 金と時間を費やそう」を続けていたことによる"神聖かまってちゃん"のプロセスを、2年半前に自ら予期していたことに感動を覚えてしまう。
そして彼の音楽は宅録から、バンド音源になった。
「これならバンドメンバーいなくても一人でできるよ!!!!!!!」
そんなことを言っていた頃から、バンドとしてかっこいいCDが出来たことに、心から感動した。初めて『つまんね』『みんな死ね』を聴いたとき、嬉しくて、気分が盛り上がって、部屋の中をウロウロした。僕は気持ち悪い奴になった。すぐそこに、の子さんがギターを弾き、叫び、monoくんが酔っ払いながらキーボードを弾き、ちばぎんが冷静にベースを奏で、みさこさんがドカドカとドラムを叩いているように思える。
僕はよく、最前列で彼らの姿を撮っていた。
近くで鳴る音も、CDで聴く音も変わりない。近くで、すぐ傍でも、そして遠くにいても、叫んでいる。『ロックンロールは鳴り止まないっ』の歌詞のように思えた。
僕は存分に客観性を失い、偏愛を持っている。神聖かまってちゃんについて、残念ながらそうなってしまっている。
彼の要望で「竹内さんも機材として紹介したい」となった。ちょうど僕が彼に向けていたビデオカメラは、ずっと神聖かまってちゃんを撮影してきたカメラだった。カメラマン佐藤さんが「機材になって」と冷静に指示してきた。野口さんも「じゃあ竹内さん、機材でお願いします」と冷静に頼んできた。
の子さんはその様子を見て、後ろからケラケラと笑っていた。
「でも、俺としてもここはちゃんと紹介したいんで」
撮影が終わると、冷静になって野口さんに話していた。12月27日発売の音楽雑誌『GiGS』に僕がなぜか機材として紹介されることになった。恐らく、写真が載ってしまうことになってしまう。シュールだと思う。神聖かまってちゃんだからこそ、そうなってしまうんだと思う。
アルバム収録曲の『美ちなる方へ』のPVがワーナーミュージック・ジャパンの公式でアップロードされた。
この映像には、彼の生活圏内の風景が映し出されている。「半径何メートルの世界」という、小さな世界を表現する言葉がある。しかし、その半径何メートルかの世界が、『MUSICA』『ミュージックマガジン』『GiGS』などの多くの雑誌の表紙、渋谷AXや恵比寿リキッドルームなどの大きなライブ会場、NHKやフジテレビなどのTV出演に繋がることなんてあるのだろうか。
あったのだ。
小さなパソコンから、それは始まった。
千葉ニュータウンの街から、すべてが始まった。
あの小さな部屋から、ボロボロになったふすまの暗闇から、歴史は始まったのです。
「出かけるようになりました」
どこに出かけようとも、今後も神聖かまってちゃんを見続けていきたいと思っています。
泣ける
返信削除同じく泣けました
返信削除文字による克明な記録
返信削除これからもよろしくお願いします
ここでも泣いてます
返信削除涙が止まらないっ(♪)
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