たけうちんぐ最新情報


⬛︎ たけうちんぐと申します。映像作家をやっております。 プロフィールはこちらをご覧ください。
⬛︎ 撮影・編集などのご依頼・ご相談はこちらのメールアドレスまでお気軽にお問合せください。takeuching0912@gmail.com
⬛︎ YouTubeチャンネルはこちら→たけうちんぐチャンネル/Twitterアカウントはこちら→

2009年4月23日木曜日

神聖かまってちゃん事件史【特別編】


このたびはLINE NEWS VISIONのシリーズ『人類皆かまってちゃん』をご視聴いただき、ありがとうございました。
監督・撮影・編集・録音を務めたたけうちんぐと申します。

僕たけうちんぐがLINE NEWS VISIONでシリーズを担当するのは、今回で3回目です。「長らく関わってきた神聖かまってちゃんで、コロナ禍におけるドキュメンタリーを制作したい」と打診させていただき、企画実現に至りました。
よくあるバンドドキュメンタリーではなく、あくまで撮影者の主観的なビデオブログで紡げたらと当初から考えていました。スマホ全画面でご視聴いただく縦型動画ならではの没入感と親近感が発揮できる媒体なので、これまで制作したDVD作品や動画などとは違った手法を取りました。

今年の2月末にメンバーそれぞれにインタビューし、9月頭の無観客ライブ配信までの彼らの姿を追いました。その間に感染者数も増えて、緊急事態宣言の発令でいくつもライブが延期・中止となり、音楽業界は嵐に巻き込まれました。
コロナ禍において様々なアーティストが配信ライブに取り組んでいく中、誰もそれをやろうとしなかった頃から罵詈雑言コメントの波に飲まれて活動していた神聖かまってちゃん。
ニコ生もツイキャスも存在しなかった頃、いわば”配信文化の黎明期”の2009年の彼らとの出会いを中心に、本コラムでは「神聖かまってちゃん事件史【特別編】」と題して語られたらと思います。
本体の「神聖かまってちゃん事件史」はこちらに掲載しております。(http://takeuching.blogspot.com/2011/11/blog-post_5.html

『人類皆かまってちゃん』では、の子さん(Vocal, Guitar)の宅録音源を使用させていただきました。
(の子さんの宅録音源はこちらで聴けます https://soundcloud.com/noko-9
彼らと出会った頃、神聖かまってちゃんの音源といえば宅録音源のみでした。これらの楽曲を聴くと、インスタもYouTuberも存在しなかった顔出しがタブーだった”荒野”の頃のインターネットを思い出します。
そこに様々なカルチャーが耕され、プラットホームが建ち並び、今の豊富なタウンが作られていく様を彼らとの12年間で見てきました。
神聖かまってちゃんの歴史を語ることは単なるバンドヒストリーには留まらず、インターネットの近代史をなぞることに近いように感じます。

そんなコラムになればいいと思いますので、ぜひお時間がある時にお読みいただけると幸いです。

(こちらのコラムの投稿URLは、『人類皆かまってちゃん』のLINEアカウントにお友達登録をしてくださった方のみに公開しております。つきましては、SNS上などでのURLの共有および抜粋はお控えいただくようご理解いただけますと幸いです。)


ーーーーーーーーーー


「“無観客”ライブ配信の先駆け」

それは2009年4月のこと。
お客さんは僕を含めておよそ7人。閑散としたライブハウス、下北沢屋根裏。対バンのバンドが演奏している傍ら、後ろから一人の青年が手に持つノートパソコンの光に照らされながら入ってきた。
の子さんだ。
インターネットに投稿されていた配信動画の中で、新宿の繁華街で叫ぶ姿からは想像できない、おとなしそうな雰囲気だった。
PeerCastという配信媒体で、ノートパソコンから配信中だった。今や当たり前となった”配信”という行為であるが、この頃は今までに見たことがない。ライブハウスの中で、配信している人がいるのが全く新しかった。

神聖かまってちゃんのライブ本番が近づく。monoくん(Keyboard)、ちばぎん(Bass/元メンバー)、みさこさん(Drums)がセッティングをしている中、の子さんは配信中のノートパソコンのベストなアングルを探っている。
これまでに数多くのバンドのライブを観てきたけど、楽器のセッティングよりもノートパソコンの配置を優先するアーティストは初めてだ。
お客さんと思しき7人のうちの数人が実は対バンのバンドマンだったようで、彼らは楽屋へ戻って行ってしまい、神聖かまってちゃんの演奏が始まる頃には僕含めてお客さんが3人程度になった。
いわば、ほぼ”無観客”のライブ配信の先駆けだ。意図しないソーシャルディスタンス。人数制限をせずに密を避けている。そして、ここにはいない遠くで観ているお客さんにインターネットで届ける。これは2020年から現在に至るまで、コロナ禍において数多くのアーティストが音楽活動を続けるための足掛かりとなった。
神聖かまってちゃんは11年前から、それを行なっていたのだ。

そして2009年冬、長らく配信で使用していたノートパソコンを配信中に床に叩きつけて破壊した。往年のロックミュージシャンがギターを破壊してきたように、今のロックミュージシャンはパソコンを破壊する。
破壊には理屈がない。衝動そのものである。インターネットが身近にある世界で、最大の中指の立て方のように感じた。
その翌年の2010年、ステージの背景にニコ生の配信画面を巨大LEDで設置したライブを渋谷で行なった。右から左へと流れる大量のコメント。もはや照明では表現できない演出にも感じる”弾幕”、そしてインターネット上の”職人”が生み出すアスキーアートの数々が、新たなライブ表現であり、もはや芸術の域に達していた。

ライブの興奮を伝えるのは、現場のお客さんの歓声だけではない。この会場にはいないリスナーのコメントが映し出されることで、一人一人の思いが可視化され、現地とネットをつなぐ共感性を孕んでいた。

1996年、オアシスがロンドンで25万人を動員したライブで「ディスイズヒストリー!」と叫んだ。そして2010年、神聖かまってちゃんが東京でインターネットを介したライブで「ディスイズヒストリー!」と叫んだ。

新たな歴史が刻まれた。世界初の”インターネットポップロックバンド”が生まれた瞬間だった。

インターネットのキャパシティは無限大だ。たった数人のライブハウスから、何百人、何千人へと届けられるかもしれない。
だが、そんな利便性がある反面”諸刃の剣”でもある。容赦ないコメントが飛び交う。「下手くそ」「ブサイク」「クソバンド」…匿名であるからこそ罵詈雑言がメンバーの目に入るが、の子さんはむしろ率先してこうしたコメントを拾って読み上げる。穏やかな自宅配信中でも、他のメンバーの表情が明らかに曇っても容赦しない。

アーティストには繊細な人が多い。作品やライブなどそこに至るまでの時間や労力、こだわりや才能。人生を賭けるからこそ、冷酷なコメントに心を壊すことがあるだろう。今で言うと誹謗中傷に近いコメントの嵐でも、の子さんはそこに立ち向かおうとする。巨大匿名掲示板でも楽曲のURLを貼っては、「そんな曲じゃこの先誰からも評価されずに死んでくだろうねwww」と書かれてしまっても、立ち向かおうとする。
それはきっと、そんな荒波がインターネットであること、本音と本音のぶつかり合いであることを理解しているからだろう。だから向き合う時は向き合うし、怒る時は怒る。プライベートも晒す。神秘性が皆無に等しい。リスナーと対等でいようとする心意気が、他のアーティストにはなかった。

もちろん、そんな神聖かまってちゃんに関わるスタッフも、容赦ないコメントに飲み込まれる。僕たけうちんぐも、神聖かまってちゃんの人気が走り出す頃は批判や中傷を受けてきた。それでも、の子さんの心意気にならって前を進み続けてきたつもりである。
喧嘩、号泣、解散危機。デジタルタトゥーは数知れず。恥の過去は消えなくても、それも人間だよ。それでいいんだよ。と、成功や失敗に囚われずに自己を表現していくためには、勇気と狂気が必要不可欠だったように思う。




(2010年4月 神聖かまってちゃんとたけうちんぐ - 撮影:佐藤哲郎さん)


「“つまらない人”の勇気と狂気」

普段はおとなしくて口数が少なくて、学校でも目立たなかったような青年が、どうしてここまでの荒波に挑めたのか。
『人類皆かまってちゃん』の最終話で、の子さんは自らを”つまらない人”と称した。教室の片隅から窓を飛び出していく、廊下を走っていくストーリーに必要なもの。
それは、勇気と狂気。“つまらない人”が果敢に挑戦し、他の人生では得られない大きなものを手にしていく。その姿は教室の窓際にいる多くの人たちに突き刺さる。の子さんは自身の”弱さ”を曝け出す。その姿から「自分にもできるかもしれない」と希望を抱かせ、背中を押してくれる。

立派な人が立派なことをする姿に、どこに心を動かせるものがあるのか。そうではない人がかっこよく輝く瞬間がある。ライブの彼らの表情はたくましく、生き生きとしている。僕たけうちんぐは、そんな神聖かまってちゃんを誰かに伝えたい、もっともっとかまわれてほしいとカメラを手にした。

の子さんの狂気には、狂気をもって応じたい。撃ちまくるようにライブを撮影し、アップロードしていた。彼らの「見られたい」と、僕の「見せたい」が同じくらいの温度でないと絶対にいけない。
撮り始めた当時、個人でライブを撮影してYouTubeにアップする人はほとんどいなかった。瞬時に伝えられる手段として動画をアップロードする。そのために彼らの配信と同等の熱量でいたように思う。
当時は伝達のつもりで撮影していたが、今は記録という役割が生まれてきた。後々語るための場所として、過去の動画が機能しているように感じる。

それを初めて感じた瞬間が、『モテキ』『バクマン。』などで知られる映画監督の大根仁監督が、かつてのサマーソニックの一般公募枠『出れんの!?サマソニ!?』に神聖かまってちゃんが出演した時の動画を、その後ブログに貼ってくださった時である。
(ブログ:大根仁のページ『神聖かまってちゃん』http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html
バンドのことのみならず、バンドを通して自身の過去や思いを吐露するために動画は機能する。『進撃の巨人』の作者・諫山創さんのブログでも、その思いを語るために貼ってくださることで、神聖かまってちゃんの存在が知られる。
(ブログ:現在進行中の黒歴史『神聖かまってちゃんの新曲ジャケット』http://blog.livedoor.jp/isayamahazime/archives/9546690.html

今後も動画が残ることで、彼らを撮り始めた頃では思いもよらなかった展開があるのかもしれない。そんな希望が、伝達から記録と化した動画にはあると思う。誰かの表現に、誰かが心を動かすことがある以上、きっと。

「死にたい」などと負の感情をストレートにぶつける。ニートやひきこもり、精神障害。若者の死因の第一位が『自殺』である今、の子さんの表現は決してマイノリティではなく、この生きづらい時代においてポップなものにも感じている。monoくんが『人類皆かまってちゃん』で何度も言っていた、「お前だけじゃねえんだぞ」。映画や小説、漫画ではネガティブな題材を扱ったものでもヒットするが、音楽はどうしてそうではないのだろう。今の時代は特に、もっと神聖かまってちゃんが聴かれても良いのではないか。もっと必要としている人がいるのではないか。

神聖かまってちゃんを知った頃に観た、の子さんが自ら作った『ロックンロールは鳴り止まないっ』のMV。
様々なレジェンドのロックミュージシャンたちの映像を羅列したものだ。そこに映されたヘルメット姿のザ・タイマーズや、顔面血塗れのGGアリンなどが、その後”神”と書かれたヘルメットを被ったり、流血しながらライブをするの子さんの姿に繋がる。このMVは今思うと、その後の活動の指標のようだ。
魂を燃やせる場所であり、自由でいられる居場所。それを必死に得ようとした神聖かまってちゃんの2009年、2010年の激動の日々。たとえ目の前にお客さんがいなくても、カメラの向こう側のお客さんへの熱量は変わらない。それはコロナ禍ですっかり変わってしまった世界において、とても重要なことに思う。

“かまってちゃん”は多くの場面で蔑称として使われる。自らをそう名乗り、頭に”神聖”と付ける彼らが楽曲でも配信でも負の感情を表に出すのは、ある種のコンセプチュアルにも感じる。いくらやっても許される、とも言える。それは彼らが必死で手に入れた自由そのものである。
社会では感情を表に出すことが許されない場面が多くて、不自由だ。失敗を許さない不寛容がはびこる現代において、神聖かまってちゃんは人の弱さを「それでもいいんだよ」と認めてくれる存在だと感じている。
みんな、かまってちゃんでいいんだよ。
こうした思いから、コロナ禍によって自分にも他人にも「〜べき」が増大し、萎縮していく世の中に反抗するように、本シリーズを『人類皆かまってちゃん』と名付けた。

ビートルズやオアシスなどは労働者階級から、チャップリンなどは過酷な貧困から。大きな歴史を作り上げてきたアーティストたちの多くは、底辺から這い上がってきた。それと同様に、神聖かまってちゃんはひきこもりやニートから這い上がった。
人生は、生まれ持った身分や学歴だけで決まるものではない。点数が存在しないのが芸術であり、一人一人が頭ではなく心で感じることが最高の楽しみ方だ。

神聖かまってちゃんはそれを体現している。彼らと出会った2009年から、それは変わらない。
どんな時代においても、神聖かまってちゃんは鳴り止まないっ。

ーーーーーーーーーー

コラムを読んでくださり、ありがとうございました。

配信という参加型セルフドキュメンタリーや、の子さんが自身のニコニコチャンネルに投稿するドキュメンタリー。彼らはすでに映像コンテンツが豊富です。でも、これらの神聖かまってちゃんの”自撮り”とはまた別の視点で、”他撮り”でしか表せない姿を今後も伝えていくつもりです。
なぜなら、外から撮られたカメラでは、彼ら自身が気づかない横顔が捉えられるからです。本人の無自覚な魅力を伝えることこそが、カメラマンとしての宿命だと思っています。

元々出版社に勤めていたりライターのお仕事を長年やっていたので、今回久しぶりに文章でも神聖かまってちゃんをお伝えできてよかったです。
撮ることが目的ではなく、伝えること。その先にあることがやりたかったので、『人類皆かまってちゃん』ではインタビュー構成などでライターとしてのお仕事の力も発揮できている部分もあり、今までにずっとやりたかったことを実践できて嬉しかったです。

彼らを知り始めた頃は、夢中になって”布教活動”をしてしまいました。たけうちんぐのSNSで神聖かまってちゃんを知ってくれた当時のマネージャーや、音楽関係者やカルチャー雑誌の編集者に、の子さんの宅録音源を勝手に焼いたCD-Rを手当たり次第配り、その後事務所であるパーフェクトミュージックの所属が決まり、次第に知られていく様がとにかく楽しかったです。
「どんどん広まっていく!」が何よりの面白さであり、原動力でした。彼らの映像の撮影も、見知らぬ方々にCD-Rを配るような気持ちで行なっています。それは今も変わらないでいます。

神聖かまってちゃんの撮影を始めてからの数年間は、映像では食べていけませんでした。彼らが有名になるからといってたけうちんぐにお金が入るわけではなく、撮影に関しても長年無償で行なっていました。なんとか自分の力で他の場所で映画監督やMV制作などたくさんの映像のお仕事に励むことで、何年間もかかりましたが映像を生業にできています。
そして今、LINE NEWS VISIONという媒体でたけうちんぐからお誘いをさせていただき、コロナ禍という過酷な時代においてそれをドキュメンタリーに昇華しました。そんなお仕事でご一緒できたのは、12年間付き合ってきて個人的にとても感慨深いことであります。

改めて、『人類皆かまってちゃん』をご視聴いただき、ありがとうございました。アーカイブとして残りますので、今後もご覧いただけると幸いです。

ONE MEDIA - バンドがコロナ禍を生きる『人類皆かまってちゃん』
https://news.line.me/issue/oa-vi-kamattechan/ql599o6byu1r

本シリーズや本ブログのご感想ツイートを、大変ありがたく読ませていただきます。今後の撮影・編集の励みになりますので、ぜひ書いていただけるとありがたいです。



0 件のコメント:

コメントを投稿