たけうちんぐ最新情報


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2013年1月5日土曜日

たけうちんぐ日記 1/1-1/5

1月5日(土) 「怖い」

神聖かまってちゃんのワンマンライブ。ZeppダイバーシティTokyoにて。新年初めてのライブ撮影にドキドキしながらお台場へ。
『ロボットノ夜』初披露に圧巻。緑色のレーザーが放たれる。照明によって青みがかり、曲の世界観を意識したステージに。終盤にiPadで顔を覆うの子さん。映し出された画面は太陽。「青いの怖い」「朝が怖い」「人が怖い」と呟き続ける歌詞に似合う光景。朝の光を自ら表現していたのだろうか。いつもは暴れるであろう彼が顔を太陽にしたままジッと動かない。静と動のバランスをわきまえたパフォーマンスは神聖かまってちゃんにとって新しい。曲の世界を大切にしているかのようで、家にいるかのような。そんな姿だった。
ライブ前、楽屋に入るとスタッフ用のTシャツが渡される。これはついに。神聖かまってちゃんについにスタッフ用Tシャツが。カワユス。カメラマンの佐藤哲郎さんと森リョータさんも着ていてギザカワユス。阿修羅くんがギガントカワユス。ステージ脇が一挙にギガンティックカワユス状態で神聖かまってちゃんのライブがスタート。
この日の神聖かまってちゃんは何かが違った。先日の年末LIQUID ROOMライブがあまりに良かったのに、今日はそれを軽く超えてしまった。
もはや鉄板の『夜空の虫とどこまでも』『黒いたまご』の流れは神聖かまってちゃんが嫌いな人にぜひ体験してほしい。オセロの白と黒がいっぺんにひっくり返るように感性を揺るがすだろう。坂本龍一が認めたメロディセンスは決して日本だけに留まるはずがない。神聖かまってちゃんはまだまだ行く。信じてる。昨年、渋谷屋根裏での子さんと話したときに「フランスに行きたい」とそれこそ"おっさんの夢"を語っていた。連れていっておくれよと。
『熱いハートがそうさせないよ』演奏後、みさこさんがの子さんに「いい曲をありがとう」って言ったのが妙にこそばくて顔がふやけた。約一年前にこの二人がライブ中にケンカしたのももう過去の話。続けて「本当にいいバンドだよ。ケンカもいっぱいあるけど…」とボソッ。元日、ちばぎんがの子さんを殴ったばかりでした。
観客「の子かっこいいよ!」の子「分かってるよ。お前らもかっこいいよ。ノッてるときの俺がかっこいいだけで普段の俺はそうでもねえよ。お前らもノッたら 多分モテモテやで」みさこ「急に関西弁…」の子「だからお互いノッて女を持って帰ろうぜ男性諸君!」ちばぎん「お前は持って帰んなよ」
このMCのやり取りは笑った。ちばぎんのつっこみはもっと評価されるべきだと思う。他のバンドが決して体験していない配信によるトークスキル向上は神聖かまってちゃんの特色。
『聖マリ』の最後、ギターをぶん投げて客席の真ん前に立って指揮者のように手を動かすの子さん。それに合わせてお客さんが手を動かす。あの光景は妙に神がかっていた。宗教と呼んでもそれはそれで別にいいかって感じで片付けられるシーンだった。
「僕はあなたのちりとりさばきを真似しようと思ったんだけども、そんなことしたって、あなたは見てくれませんよね、そんなこと分かってんだ、だから!曲に すんだよ!だから!曲に!して!あなたに!伝えるんだよ…でもあなたには伝わらないんでしょう…でも…いつか…そんな日は…来ないんですけどね」
アンコールの『ちりとり』はいつも以上にエモーショナルな叫びだった。
「またインターネット上で会いましょう」って照れ笑いしながらステージを去るの子さん。インターネットとライブを分離し始めた最近の彼らの姿は、生で観なければ意味がない。撮影しているとこみ上げてくるものがある。
終演後、の子さんに「ネットパンクアップローダーとしてアップしちゃってください」と言われる。いやいやいや。問題が起きる。だけど僕は最近とても歯痒い気持ちでいる。アップしなければ意味がない。映像は公開しなければ価値がない。最近は単にレポするだけになってる。『ロボットノ夜』は凄まじい映像になった。元来僕は神聖かまってちゃんを知らない人に見てもらいたくて撮影していた。あの渋谷LUSHでライブをやっていた頃、ファンの人のために撮る感覚はなかった。今日の映像は神聖かまってちゃんが嫌いな人、苦手な人がふと観る機会があれば、何かを逆転させられる。そう信じてる。
の子さんに「竹内さんの映像が一番かっこいいんで…」と言われる。これほどまでのカメラマン冥利に尽きる言葉はない。1台のカメラで伝えられることは伝えたい。佐藤さんがなぜか二人の写真を撮ってくれた。知り合って今年で4年になるけど、なにげにツーショット写真は初めてだ。
いつか神聖かまってちゃんのDVDが出せれば、この部屋の片隅に置いてある100本近くのテープが日の目を浴びることになる。
進化と深化を遂げたライブだった。新年一発目から縁起がいい。

1月4日(金) 「ほらうしろ」
横浜のみなとみらいへ。若干関わっている秦俊子監督の人形アニメーション映画の制作現場の見学におじゃまする。
某大学のスタジオ内にアニメーションのセットは組まれていた。監督だけでなく照明と撮影と演技すべてを手がける秦監督はいわばこの世界の神。コマ撮り用の編集ソフトを見せてもらったけど、一枚一枚動くとほんと感動する。今日から10日までスタジオに泊まり込みで缶詰撮影ってすごい。すぐそばに海上保安庁があり、不思議なロケーション。深夜の作業で一人きりになると怖いという。たしかに物音一つするだけで緊張感が漂いそう。
秦監督の作品は『さまよう心臓』が強烈。火を使ったシーンが凄かった。NHK『みんなのうた』のやくしまるえつこの『ヤミヤミ』、南波志帆×鈴木慶一の『キャッチコピーのうた』の紙アニメーションも秦監督によるもの。かわいさと不気味さの融合は奇跡。現在製作中の新作が楽しみです。
それにしてもみなとみらいは浮かれモード全開の街。すぐ近くに赤レンガ倉庫を見えた。の子さんとmonoくんと一緒に行った木村カエランドも、もう4年前になるのか。

1月3日(木) 「エモティック」
エモいという言葉を便利に使いたい。以前、車窓から稲穂が揺れるのを見たときに「エモい!」と誰かが言った。メキシコの処刑写真を見たときに「エモい!」と誰かが言った。稲穂と処刑は同価値なのか。いつだって言葉はすべての中間地点。キャッチコピーはまず答えを明かす。そこから真相に辿り着きたくなる好奇心を言葉だけで植えつけられるかをコピーライターたちは模索する。
スカイプで友人と話す。映画はオープニングが重要だよね、という話になって過去に観た映画のオープニングを挙げていく。強烈な映像から始まると胸ぐら掴まれてハッとなる。内容がいまいちでもオープニングだけが良い場合もあるし、オープニングがよければ最後まで観たくもなる。10代の頃からやっぱりカイル・クーパーの映像が好きだった。映画オープニング個人的ベスト5はこうなる。
『ロード・オブ・ウォー』(アンドリュー・ニコル監督)
 武器商人が主人公。一発の弾丸が少年兵の頭を貫くまでを弾の主観視点とはシニカルすぎ。
『エンター・ザ・ボイド』(ギャスパー・ノエ監督)
 マジックマッシュルームのお話。色彩と点滅と言語の幻覚アタックで刺激的。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』(ザック・スナイダー監督)
 実際のニュース映像とゾンビが人を襲う映像を織り交ぜて。カイル・クーパーの本領発揮。
『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(ジェイ・ローチ監督)
 トム・クルーズ、スティーブン・スピルバーグ、ケビン・スペイシーがこのためだけに。
『ファイト・クラブ』(デビッド・フィンチャー監督)
 ダスト・ブラザーズの音楽がかっこよすぎる。二重人格の男の脳髄から毛穴まで辿る。
日本映画で胸ぐら掴まれるオープニング映像を見たことがない。誰かが作らなければならない。
深夜、OKAMOTO'Sのハマ・オカモトのJ-WAVEの番組に父・浜田雅功が出演。浜ちゃんが「子どもが関西弁になってしまって学校でいじめられないように」と、家庭では標準語で喋ってるっていうエピソードには関西から上京してきた身としては心温まった覚えがある。ハマ・オカモトの喋り方で浜ちゃんがいかに人格者であることが分かる。ほんと子どもを見るとその親のことが一発で分かるんだね。3年前、神聖かまってちゃんと対バンしたときに握手してもらったけど本当に礼儀正しかった。感動のあまり絵に描いたくらいだ。
ハマ・オカモト「(『ラブレター』の自分の)ベースどうでしたか?」浜田雅功「…泣いてたな」ハマ・オカモト「それは基本ギターに言うことなんだなあ…」
この会話がグッときた。

1月2日(水)  「カストロ」

『僕等がいた 前篇』と『僕等がいた 後篇』で挟んでつぼみのDVDをレンタルした。
前2本は仕事のために借りた。観た。これは生田斗真だから許されるセリフだろうと感慨に耽ること連発。あまりの潔さに生田淘汰されていく。吉高由里子のえくぼがいい。えくぼが浮かび上がるたびに口笛を吹きたくなる。お正月なんだからこういうこと言っていいはずだ。
新宿駅の東口地下道に生ダコが落ちていたのでそれなりに驚く。魚市場であると驚かないものでも新宿のど真ん中にあるとびっくり。
タコに意志はないがそのときタコは一斉に嫌われる。人々は気づく。もともとタコの外見が恐ろしいものであることを。すでに定着した「タコはおいしいよね」という既成概念も、多くの試食のおかげで成り立った事に人々は気付く。あの恐ろしい外見のものを誰かが「あれは食えないのかね」と聞き、「確かめてくれないかね」と命令し、「分かりました」と心にも思ってない答え方をすることで上下関係を保ち、食べ、「これはいけますよ」と解答を出した。よくがんばったよ。
その試食した人の苦労を台なしにする新宿というロケーション。機械かコンクリートか電飾しか信じませんとでも言わんばかりの街並にて。東京が水没したとき生ダコは「生」という身分から無事開放されタコとなり、溺死した人間たちを「きもっ」と一蹴するのかな。
ところで僕はといえば、好奇心旺盛であるがゆえにインターネットで井口昇監督の昔のスカトロAVを見てしまう。複雑な気持ちになる。ゲロとウンコを食べあう女の子の映像であるが、僕は女の子だけが見たいのでノーモアゲロとウンコ。しかしながらゲロとウンコも元々はおいしい食べ物であった。お腹から出てきて体内色に染まり変わり果ててしまったという意味では、田舎から出てきて都会色に染まり変わり果ててしまった事と似ている。それを嫌う。という事は、食べ物を嫌う。という事に繋がるのではないかと思い、複雑な気持ちになったのだそういう意味ではスカトロという分野は深い。食べた物をまた食べ、吐き、また食べ、吐く。「永遠」の代名詞なのではないかと思う。結婚式での誓いでも「永遠」を「スカトロ」に置き換えてもいい。「あなたはスカトロに誓いますか?」「誓います」そして、生き物へ。

結論を言うとスカトロは苦手です。『僕等がいた』とスカトロAVを同時に観るとは。

1月1日(火) 「はげましておめでとう」

あけましておめでとうございます。さっそく誰にも会っていない。
一人でカラオケに行き、一人で初詣に行き、一人で『悪の教典』を観た。『海猿』スマイルで伊藤英明が次々と生徒を撃ち殺していく。『バトルロワイアル』のような痛さがなくて心地良さがあった。それが怖い。観ていると次第に感覚が麻痺していく。どちらかというと伊藤英明演じるハスミン側に気持ちがついてしまい、シューティングゲームのような感覚に。
『劇場版神聖かまってちゃん』で兄妹の関係だった二階堂ふみさんは落ち着いた役柄だった。あの映画のように蹴りを入れたり叫んだり走ったりすると、ハスミンの狂気が薄れるのだろうか。将棋の駒を投げると映画の恐怖が薄れるからか。ボブヘアーはこれ以上ないボブさを醸し出していた。なぜか心の奥底で「死ぬな」と応援してしまったら、『動くな、死ね、甦れ!』を思い出した。動け、死ぬな、甦れというかそもそも死ぬな。
どうでもいいけど、ハスミンが電車内で次なる標的を狙いに歩くシーンに映っていた中吊り広告に三池崇史監督がいたような気がする。『初孫』と書かれていて孫らしきものを抱いていた。僕の錯覚だろうか。ネットで検索しても詳細が出てこない。怖すぎる。
元旦から『悪の教典』かよ、誰が元旦から観に来てんだよ、という批評性という名の冷めた視点をもって劇場に足を運んだら、意外にお客さんが多かった。20代の女の子とその母親らしき二人組とか。今年は良い年になるでしょう。

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