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2011年6月24日金曜日

汗を映す

先日、映画学校時代のゼミ担任だった先生の訃報が突然届いた。

知らせをもらったとき、うまく呑み込めなかった。しばらくしてから、どういうことなのか気がついた。その途端、電車の中で急に感情がこみ上げてきた。知らない人に恥ずかしいツラを見せたと思う。夜、家に帰ってひとりになると記憶が蘇ってきた。顔が思い浮かんだ。4年前に在学していた頃、先生が言ってくれた言葉が何度も繰り返された。

「俺がなあ、売れっ子の映画監督でお金たくさん持っていたら、竹内の学費をここでポーンと出してあげれたんだけどなあ」
笑いながら、先生はジョナサンのコーヒーをすすった。

お金がなくて学費が払えないことを理由に退学の意志を伝えた僕に、先生は「ジョナるか」と呼びかけた。昼休みに学校近くのジョナサンに僕を連れていき、退学を引き止めようとした。「学生はね、ジョナサンで映画の話し合いをするときに『ジョナるか』って言うんだよ」と笑い、重たい空気にならないようにワンクッションを置いてくれた。
僕の決意は固かった。辞めなければ、生活費がなくなるからだ。
「みんな竹内がやめて寂しがると思うから、いつでも遊びに来てくれよな」
上京してから初めて会った、もうひとりの父親のような人だった。

僕がゼミのホームページや名簿の表紙を作り、そのブログで新井英樹の漫画『ザ・ワールド・イズ・マイン』について熱く語っていたら、退学後も「貸してくれ」などとやり取りがあった。
何事にも柔和に取り組み、興味を持ち、熱く語る人だった。生徒からも信頼が厚く、僕の知る限り、先生を嫌っているような人は誰1人としていなかったように思う。

退学した僕にとっては、学校を辞めるまでのたった半年間の付き合いだった。
それなのに、ショックがとてつもなく大きい。きっと期間は関係ないんだろう。訃報を知った翌日の夜、ドキュメンタリー監督の松江哲明監督から電話がかかってきた。
「信じられない、あの人がまさか…」
何度も言い合った。松江監督も同じ映画学校の卒業生。国内外で高く評価された卒業制作『あんにょんキムチ』に関しても、先生は最初から評価してくれていたらしい。
先生は、1年次の課題『人間研究』の学年主任を受け持っていた。松江監督も講師として参加していた頃、厳しい批評と分析が飛び交う合評会の後、講師陣だけの集まりが一番楽しかったという。
「先生が『あのとき、ズバッと言ってくれてありがとう』とか言ってくれたりして。ああいう穏やかな人がまとめてくれて、そんな雰囲気があったから人間研究は好きだったなあ」
松江監督も、先生の温和な人柄を思い出していた。

先生は新百合ヶ丘で毎年開催される『しんゆり映画祭』の実行委員でもあった。
昨年10月、松江監督の映画『ライブテープ』がその年の映画祭の最後の上映作品に選ばれ、僕は家が近所というのもあり、観に行った。上映後、松江監督と主演の前野健太さんにお誘いを受け、映画祭の打ち上げに参加させていただいた。そのとき、先生に会えると思った。
だけど先生はいなかった。
他の実行委員の方が打ち上げの挨拶で「ご病気され、今年は開催を危ぶまれたのですが…」と言い、驚いた。あとで同じゼミだった友人に尋ねると、先生が心の病気であることを知った。
理由ははっきりとは分からなかった。映画学校が大学に変わることなどの状況の変化や、先生が親しくしていた映画学校の職員の方がその年の3月に亡くなったことが影響しているのでは、と友人が考えた。人一倍責任感があり、誰からも頼られている先生だからこそ、抱え込むことが多くあったのかも知れない。

「生きていかなきゃね。」
この言葉がキャッチコピーの『ライブテープ』が映画祭の最後の上映作品に選ばれた意味を知ることになった。

「『極私的神聖かまってちゃん』、先生に観てほしかったね」
松江監督が言った。卒業生の松江監督と、中退生の竹内が関わった作品。僕自身は立派なものでも何でもないけど、先生にお世話になった2人が関わったものは、やっぱり先生に観てほしかった。
「先生のことは、これからも色んなところで語っていくべきだよ。どんなときでも、作品を作るときでも。それが先生にとって嬉しいと思うし、供養になると思う。生きるってそういうことだと思う」
亡くなってから今まで、何を思っても間違いのように感じていた。ツイッターでも長文を書き綴ったけど、全部間違えていると思い、消してしまった。先生の死は、感情を投げても投げても跳ね返ってくる。見えない壁に向かってボールを投げるかのようだ。すべてが無益なことなのかも知れない。今書いているこの日記も、先生の死について思うべきことなのか。それが本当に言いたいことなのか。書いていることは、何かが間違っているのかも知れない。
だけど、先生が自分にとってどのような人だったのかを伝えたいし、今の気持ちを書き留めたい。

「映画のフィルムに中々思いは写らないんだよな。でも、頑張った汗は映るんだよ。だから映画を信じてるんだ」

先生の忘れられない言葉のひとつ。
映画が心底好きで、情熱的だった。ドキュメンタリー監督でもあった先生のその言葉は、当時、ゼミの友人のみんなが覚えていたように思う。悔やむべきことに、先生の遺した映画がヨーロッパの映画祭で上映が決まったことを先生に告げられることもなく、亡くなってしまったらしい。
だけど作品は遺っているし、言葉も遺っている。そして現に、生き続けている。
学校を辞めて4年が経とうとしている。先生が亡くなったことにより、ショックで呆然とした。途端に寂しい気持ちになった。疑問と悲しみが一斉に押し寄せた。
数ヶ月前、「先生を囲む会」をしよう、とゼミの友人とメールのやり取りをしていた。先生が体調を崩したことで延期してしまったが、まさかこんなことになるとは思わなかった。
ふと、先生のミクシィのページを見てしまった。「最終ログイン3日以上」がまた1人増えた。生きていくことというのは、こういうことなんだろうか。先生の奥さんのブログを開いてしまった。そこには、亡くなる数日前、よく晴れた空の下で犬の散歩をしている先生の後ろ姿が写っていた。先生が確実に生きていた。確実にそこにいたことを知った。

先生はどれほど辛かったんだろう。どんな気持ちだったんだろう。

そんなことを考え始めてしまい、止まらなかった。これだから1人は辛い。誰も止めてくれないから、思い出を打ち消したくもなった。夜になると、自分の暗い影が大きくなり、空まで覆っているような感覚に陥った。逃れられない深い深い暗闇に、寝付けずにいた。
だけど、映画は暗い闇でなければ映りません。
先生も僕も大好きな映画っていうものは、暗い闇でなければスクリーンには映らないってことを思い出しました。
しばらくは、この闇の中で自分の中にある映画を見つけようと思いました。

最近は、ずっと似たような感情にとらわれていました。
だけど昨日あたりから関東でも晴れ空が続き、暑い日々が始まります。朝になったら小鳥がチュンチュン鳴いて、夏になれば蝉がミンミン鳴く。どうやら、こちらが求めていなくても時間は過ぎていくようです。僕も、ちゃんと時間をギュンギュン進めたいと思いました。

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