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2011年4月30日土曜日

映画『マイマイ新子と千年の魔法』

片渕須直監督の映画『マイマイ新子と千年の魔法』をDVDで。

子どもの頃にしか見えなかったものってあった気がする。この映画の新子が追いかけるような、透明なものを追いかけた覚えがある。子どもは、いないけどいると思い込んで誰かと喋ったり、突然走り出したりすることがある。
実家に住んでいた頃、この被害に相当出くわした。エレベーターが開くと突然ダッシュする子どもがいた。住んでいたマンションでエレベーターに乗ろうとドアが開くのを待っていると、開いた途端に走り出した男の子の顔面が僕の股間に激突し、その衝撃で男の子が半泣きし、僕の心が半泣きするという、なんとも言えない空気が流れたことを思い出す。
男の子には何かが見えており、それを追いかけていたんだろう。逆に、僕のような大人が抱える現実(股間)なんて何一つ見えず、完全なユートピアだったように思う。

昭和30年の山口県の田舎が舞台。空想に明け暮れる元気いっぱいな少女・新子と、都会から転校してきた父子家庭の内気な少女・貴伊子。新子は麦畑の下に千年前の街があると空想をする。その一方で、自殺などといった身近な人の死という現実がある。
のどかな田舎町の風景から一転、物語は夜の歓楽街、大人の欲望を垣間見せ、悲しみを漂わせる。普段泣かないような人が泣いている姿を見てしまったような、見ているこちらが悔し涙を流してしまいそうな気持ちにさせられる。
それでも結局のところ、子どもたちの表情と田舎の風景の青すぎる空に、切なさが全部吸い込まれていく。そんな得体の知れない強さがある。この映画は、携帯もパソコンもなかった古き良き時代をただの懐古趣味にしない。千年前も昭和30年も変わらない子どもの感性。現代に生まれた僕も、この映画の新子と貴伊子のようにウイスキーチョコレートでオトナの気分を味わってみたり、みんなで秘密の場所を作って冒険した覚えがある。

映画の終盤には、誰かと誰かの約束がある。
約束というのは、次につなげる行為だとつくづく思う。「生きろ」などと誰かに促されるかのようにぼんやりと生き続けるより、あの人とまた会いたいと思い、また会うことを約束するほうが、日々をつないでいる気がする。
そのための新子の「また一生懸命遊ぼうや」といった約束。何年経っても、子どもと子どもとの関係は変わらない。思春期前の男女の友情は成立する。その瞬間、普段笑わないような人が笑った姿を見れたときのような、見ているこちらが嬉しい気持ちにさせられる。
黒田硫黄の漫画に出てくる女の子の天真爛漫さ。塩田明彦監督の映画『どこまでもいこう』のどこまでもいく勢い。ヴィターリー・カネフスキー監督の映画『動くな、死ね、甦れ!』とは真逆の世界観。『動け、生きろ、蘇っとるわい!』と言わんばかり。子どもの世界はいつだって無敵で、うらやましい。

あと、動物たちの描き方が好きだ。とにかくかわいい。犬、亀、金魚。子ども以上に純粋な存在だ。それだけに、生きることと死ぬことにも純粋に直面してしまうのかな。

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