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2010年7月8日木曜日

芯が存在することの証明

竹内は険しい表情をしていた。ゴダールの映画を論じるかのごとく、フランクザッパの音楽を語るかのごとく。彼は険しい表情で一点を見つめていた。力んでいた。きばっていた。便器を標的とした。便器は静かに呼応した。「ポチャン」と呟き、竹内は安堵の表情に変わった。

便意は不安を与え、その解消は安堵をもたらす。この部屋に入るまでの竹内は便意に支配され、あらゆる便が脳裏を過っていた。ベン・ス ティラー、ベン・アフレック、ベン・フォールズ・ファイブ。尿意が人の歩くスピードを速めるのと同様、便意も家に向かうスピードを速まらせる。「位置につ いて、尿意ドン」という言葉同様、「便捨てぃらー、便溢れっく、便フォールズ5」という言葉の存在がそれを証明している。

そして竹内は便器とシンプルな態勢で対峙するためか、半袖のTシャツを着たまま下半身は全裸だった。まるで「くまのプーさん」だっ た。竹内は考えた。何故、プーさんは「さん」付けなのだろうか。女なのか?女だとしたらなかなかセクシーな格好である。なぜTシャツだけ着て下半身は全裸 なのだろうか。ちょっとしたエロである。『ちんかめ』である。ソフトアダルトである。WOWOWの深夜にやってそうな映画である。しかし女でなければどう なのだろうか。「さん」付けだからプーさんは目上の人か?先輩か?くまのプー先輩か?そして女でも先輩でもなければ、プーさんは下半身露出のただの変態 だ。

と、フランクザッパならぬフランクに大雑把な思考を巡らした後に、ついに私は回転した。竹内によって回り始めた。紙が送り出される。 こうして私は毎日のように竹内と会う。竹内がこの部屋に入る。まるで教会の懺悔室のように駆け込んできては内面を吐き出す。そして便器は竹内を赦す。しか し、彼が求めているのは神ではなく紙かも知れない。

「全能の神、哀れみの深い父は、御子キリストの、死と、復活に、よって世を、ご自分で、立ち、帰らせ、罪、の、許、し、のために、精霊を、注がれま、し、た。」

赦しの言葉は次第に句読点が多くなる。呼吸の間隔が狭まる。息継ぎに気を遣う。句読点に合わせて小刻みに便器の中の水面が揺れる。さ て、ここで白状しよう。「、」というのはうんこの形そのものである。「、」の形をした固形物が音を立てて重力に従うのだ。水に、同化、し、変形する。また 新たに3つのうんこを落とした。そうなるとやはり「藤岡弘、」もうんこが付いているのである。常に後ろにうんこを付けているのである。

やがて竹内に回転され続けた私は、竹内の下半身同様、ついに全裸になった。





私は捨てられることを覚悟した。これは宿命である。免れない運命である。始まりがあると終わりがある。そのサイクルは全裸になった今、行われようとしている。それに抗うことは決して許されない。

しかし次の瞬間、なんと竹内は私を手に取り、この部屋の隅に置いたのだ。いや、置いたというよりかは、並べた。私は周囲を見て、「並べた」という表現をした。なぜなら部屋の隅にはこのような光景が広がっていた。





まるで天と地がひっくり返ったかのような展開に、私は夕暮れを想った。竹内は夕暮れを憎んでいた。西日が作る影は自身の存在を際立た す。存在していることを強調する。街のすべてを均等に黒で切り取り、空を赤く染めている。まるで血のようだ。空に墜落死したかのようだ。重力が人々を裏切 り、空に落とす。空に落ち、血を流す人々。便器に落ちた句読点のように、空も「ポチャン」と呟く。重力はあまりにも虚しい。だから人は夕暮れに涙を流す。 時として夕暮れは金になる。金は涙になる。涙は感傷に変わる。やがて竹内の感傷の正体が浮き彫りとなる。

竹内の下の名前は道宏である。幼稚園、小学校、中学校と「みっちゃん」と呼ばれ続けていた竹内にとって憎むべき童歌があった。

「みっちゃんみちみちうんこたれて、紙がないから手でふいて、もったいないから食べちゃった」

このような歌詞が当時の竹内を悩ませた。歌われ、からかわれた。みっちゃんであることを恨むと同時に、この歌の作詞家を憎んだ。なぜ、みっ ちゃんでなければならなかったのか。みっちゃんは、うんこをたれないし、手で拭きたくないし、食べたくもない。もったいなくはない。「たれない、拭かな い、食べない」という三原則をスローガンに掲げて行進したくなった。全国のみっちゃんを集めたかった。及川光博、浅香光代、ロバート・ミッチャムなどと共 に同盟を組み、「みっちゃん被害者の会」の結束を望んでいた。

夕暮れがあの日の帰り道を思い出させ、夕暮れを憎む竹内。そのような孤独を感じた竹内は、途端に夏帆とwiiがしたくなった。いつも wiiをやりながら1人で喋っている夏帆に自分を投影した。便器にすべてを吐き出した竹内に残っていたのは寂寥感。空虚そのものだった。しかし臼田あさ美 が「出すって大切」と言っていることを思い出した。しかも大きく手を伸ばして言っていることに驚きを隠せなかった。そして臼田の「臼」という字の真ん中に いつもストレスを溜めていた。イーッとなった。「白」と書き貫きたかった。しかしその字はまるで、竹内の空虚感を表していた。

さて、私も空虚だ。からっぽだ。それは私の身体自体がそうなっているからかも知れないが、紙を巻き付け、くるくる回らされ、最後は裸になって、捨てられる。タイの売春宿に売られた女のようだ。そして中身は何もない。透けて見える。生まれたときから空虚なのだ。

だから徒党を組む。竹内がみっちゃんたちとの同盟を求めているように、私も空虚の同盟を求める。仲間が集まった。それはすでにあの部 屋の隅にいた。そしてここにいる。我々は、芯だ。トイレットペーパーの芯であることを表すため、AKB48を意識し、TPS31と名付けよう。寂しさから の団結である。空虚からの結束である。力強い。心強い。繋がる。築く。やがて立つ。行こう。ここに刻もう。存在を証明しよう。と、句読点も多くなる。「藤 岡弘。」にもなる。「。」はうんこではない。つんくファミリーである。藤岡弘がつんくに楽曲提供される。えなりかずきのように失敗する。

団結した我々はスローガンを掲げた。「1人はみんなのために、みんなは1人のために」と。社会主義である。ロシア革命である。戦艦ポ チョムキンを彷彿とさせる。やがてロシア・アバンギャルドに匹敵するアートを展開させる。我々は動き始めた。竹内も協力した。我々の孤独が竹内に共感を呼 んだ。私は竹内に運ばれ、夕暮れや西日にも勝る影を作る。存在を際立たせる。存在する意味を、今ここに、同志たちと刻みつけたのだ。

これが私の存在。ここにいることの証明だ。







1981年2月21日生まれ。香川県三豊郡三野町(現、三豊市)出身。日本の俳優、タレント。株式会社フリップ・アップ所属。身長185cm、血液型A型。香川県立高瀬高等学校卒業。
2001年、『仮面ライダーアギト』の氷川誠役でデビューし、共演の賀集利樹や、オダギリジョー・永井大・金子昇・玉山鉄二らと共に「イケメンヒーロー」ブームを牽引する。ドラマ、映画、CM、バラエティなど多方面でマルチな活躍を見せている。

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