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2009年4月23日木曜日

神聖かまってちゃん@下北沢屋根裏

「“神聖かまってちゃん”ってバンド知ってる?」

3月、関西に住んでいる友人が電話で突然尋ねてきた。
知らないよ。なんだその変な名前のバンドは。“神聖”って。『神聖モテモテ王国』ってマンガを思い出した。“かまってちゃん”ってあれか。頼んでもないのにやたら日記をメールで送り付けてくる人のことか。寂しいアピールする人か。ブログで暗いことを書く人か。
奇をてらったような名前のバンドを、なんで?
その友人が日本のインディーズバンドの事を急に話すのは初めて。普段は洋楽を聴いていて、あらゆる分野に造詣の深い友人。自分の周りにいる誰よりも先にPerfumeの魅力に気づき、かつて部屋に遊びに行くと頼んでもないのにPerfumeのCDを再生された事を思い出す。あのときは「うわーこの子なに急にアイドルのCD流してんの…」とか思っていた自分を恥じている。今のPerfume人気、そしてPerfumeの素晴らしさ、かっこよさ、美しさ、のっちのボブの凄さ、前髪作った方が好みだけど作ってなくてもボブの素晴らしさ…
おっと脱線。

「俺はこのボーカルの奴の事スゴいと思ってるんやけど」
神聖かまってちゃんのボーカルの名前は“の子”というらしい。接続詞がつけづらい名前だ。「普通に曲がポップで振り幅があってこれが全然有名ちゃうのが謎やわ…」と友人は嘆く。Perfumeの時に振り払ったバトンを今度こそ受け取らなければ。恥ずかしい思いをしたくない。そんな気持ちでYouTubeを開いた。
なぜか、それは早かった。正直、いつもだったら他人が薦めるものにあまり興味を持たない。なぜすぐに検索したんだろう。そのときの気分が良かったのか、友人を信頼していたのか、それとも“神聖かまってちゃん”という名前にどこかしら惹かれるものがあったのか…

『夕方のピアノ』という曲を見つけた。
まさか有名じゃないインディーズバンドにPVがあるとは。
気になった。タイトルで“夕暮れ”って表現はよく見かけるけど、“夕方”って案外見かけない。誰もが日常的に使っているのに。
「の子って奴がpeercast?とかいうところで配信って事をやってんねんけど、それが新宿の交番の警察官と揉めたりしてて。曲がせっかくええんやから、配信とかで無茶なことやってメンバーが離れていかへんかが心配やわ…」
友人はさらに嘆いていた。peercast?何それ。配信?何それ。聞き慣れない単語ばかり。
『夕方のピアノ』を再生した。
なんだこれ…
怖いぞ。不気味だ。いや、違う。切ない。悲しい。…なんだこれ?
ボーカルは、子ども?なんでこんなに甲高いんだ。なぜか子どものような声が夕方の赤く染まった空に向かって、「死ね!」を繰り返していた。右上に“MTV”の文字が浮かび上がる。絶対嘘だろ。MTVで流れるわけがない。チープな映像とテロップ。それなのに、なんだろうこの感じ。怖くて気持ち悪くて不気味なのに、切なくて悲しいのはどうしてか。
途端にギターが叫ぶように鳴る。すると映像が乱れ、手持ちのカメラのブレた映像がますますブレる。震える感情を表すかのように揺れる。
学校、部活、あらゆる帰り道、夕暮れ時間、景色がガタガタと震えるくらいに感情が高ぶり、行き場のない怒りや悲しみを覚えた記憶が蘇ってくる。

「えっ…『夕方のピアノ』から見たん?俺は『ロックンロールは鳴り止まないっ』って曲を最初に聴いてもらいたかったんやけど…」
友人は『夕方のピアノ』を聴くと引かれると思ったらしい。ところがどっこい。惹かれた。ランドセルを背負った小学生が映り、叫び声がリコーダーに変わった時、僕の中で“神聖かまってちゃん”は完全に気になる存在となった。
圧倒的なものだった。「死ね」なんて歌詞はありそうでない。単に攻撃的ではない。切なかった。どうしてリコーダーの音に切り替わったのか。どうして「死ね」がたくさん叫ばれたのに切ないのか。その理由を知りたかった。
電話を切り、次から次へと動画を再生した。なんでこんなにPVを作ってるんだ。調べてみると、全部ボーカルの“の子”が制作しているという。曲も歌詞もすべて。打ち込みの音源も全部。『ロックンロールは鳴り止まないっ』の最初のドラムにずっこけた。この音いいのか?大丈夫なのか?って思ったのも束の間、繰り出される歌詞に完全に心を奪われた。
「夕暮れ時 駅前TSUTAYAさんで 僕はビートルズを借りた セックスピストルズを借りた ロックンロールというやつだ しかし、何がいいんだか全然わかりません」
いきなり挑発的と思いきや、次第に気持ちが変化していく様子が描かれていた。歌の中で葛藤があった。物語だった。音楽に触れ、感動を覚え、誰もが身に覚えのある初期衝動が、一切ぼんやりしない言葉で歌われていた。
なにこのバンド。曲がめちゃくちゃいい。
極めつけは『ゆーれい未満』と『笛吹き花ちゃん』。びっくりした。一度聴いたら耳から離れないメロディの連続。
「自殺しちゃうぞと叫んでも 誰からも返事ございません」
まさに“かまってちゃん”じゃないか。鬱屈したパワーが炸裂している楽曲ばかりで、明らかに“の子”が自分自身のことを歌っていた。
これらをすべて一人で制作した本人がとても気になった。

友人が言っていた“配信”の動画を見た。
狂人が映ってるんじゃないかと思いドキドキしながら再生するが、半ばワクワクしている自分がいた。
の子がヘルメットを被った姿で路上ライブをしていると警察官に止められる。それでも会話しながら、合間合間に「du da~」とさりげなく歌っている姿に笑う。
この人、面白い。狂人ではない。ちゃんと意識がしっかりしている。時折見せる謎のサービス精神からすぐ分かる。
単に面白いか面白くないかで行動しているように見えた。その瞬発力と判断力は交番前での一部始終で感じられる。そしてバカバカしい。そんなに難しい言葉で語られるべき存在ではなく、語った時点でマヌケにさせてくれる。彼が行なう表現と宣伝活動は感覚的に思う。開いたノートパソコンを片手に持ち、画面に向かってぶつぶつと喋る。誰もが近寄りがたい姿。だけど、それを本人は分かっているように思った。周囲との緊張感を理解している。だからこそ、そこらへんのストリートミュージシャンのヌルい雰囲気とは一線を画す。
“ライブ”という概念を覆していた。
インターネットと、交番。自らキツい言葉を容赦せず投げかけてくる場所に突撃していた。
こんな人初めて見た。

この衝撃が実際に足を運ばせることになった。
公式サイト『子供ノノ聖域』には次回のライブの予定が書かれていた。一ヶ月に一回くらいのペースでしかライブしていない。mixiで“神聖かまってちゃん”のコミュニティを見つけた。参加人数が100人くらいしかいない。なのに、なんであんなにPVが作られてるんだ。そこにの子のガツガツとした表現への意欲と何も知らない世間とのギャップを感じ、新しい世界に一歩踏み入れる気になってドキドキした。
一体どんなライブが見れるのだろう。
仕事帰り、前売りの予約をしないまま直接向かった。

下北沢屋根裏に入るのは初めて。友人のバンドのライブを観るために何度も下北沢を訪れているけど、屋根裏は行ったことがない。
神聖かまってちゃんの本番30分前くらいに着く。受付で「お目当てのバンドは?」と尋ねられ、「神聖かまってちゃんです…」とちょっともじもじ。彼ら目当てのお客さんリストを覗くと、自分を含めて3人しかいない。少ねえ。扉を開ける。人いねえ。全然いねえ。こんなライブハウスは初めてだ。対バンのバンドメンバーしかいなさそうな空間に驚く。7、8人くらいがまばらに散らばっていた。少ないと一人一人の存在が色濃く目立つ。こういう空間はとても気まずく、一人で来たことをちょっと後悔してしまう。

しばらくすると、中学生の夏の制服のような白シャツを着た青年が現れる。暗闇の中でノートパソコンの画面の光に顔を照らされ、少年のような屈託のない笑顔が浮かび上がる。ライブハウスには似つかわしくない風貌。バンドマンらしくないビジュアルは、なぜかどことなく安心するものがあった。
彼が“の子”だ。
あれが警察官と揉み合った人か。そうは見えない。素朴で小柄な印象の彼が『夕方のピアノ』を制作したと思うと、人間はなかなか分からない。
やがて一つ前のバンドの出番が終わり、神聖かまってちゃんの出番が来た。少しだけお客さんの数が増えた気がするが、まだスカスカ。ビートルズのアルバム『Rubber Soul』の楽曲が流れる中、メンバーがステージにセッティングに入る。
メガネをかけた地味なにいちゃんがキーボードに座る。彼が“mono”。奥のドラムセットにどこにでもいそうなふわっとした雰囲気の女の子が座る。彼女が“みさこ”。一人だけ別のバンドの人のような雰囲気で、染められた髪の毛が完璧にセットされている派手なにいちゃんがベースを鳴らす。彼が“ちばぎん”だ。
配信しているパソコンはお客さんらしき人に渡され、ステージを撮影してもらっていた。このままライブが配信されるらしい。ライブが家でも楽しめるとは。無料で生中継でしかもコメントが打てる。新しいものが連続している。

の子がなぜか突然服を脱ぎ始める。
えっなにそれ。おいおい下も脱ぐのか。ってなんだこれ。全裸じゃないですか。ギターでちょうど股間が隠れるじゃないですか。普通に見えてるじゃないですか。
「今日は僕らがトリやります。皆さんピョンピョン跳ねちゃって、覚えて帰ってください」
全裸なのに普通に喋っているの子。その後ろには女性メンバーのみさこがいるというのに、なにこの余裕。銭湯以外でフルチンを見るとは思わなかった。天使のつもりか。変質者か。しかも配信やってイるからネット上に公開されるだろうに、お構いなしか。
「それで、久々にライブのトリやって。21時45分っていうその間、4時間か5時間ずっと待ってたんですけど、正直眠いです。眠いけど裸だぜ?俺は裸だぜ?」
そして極めつけの一言。

「裸になって何が悪い!」

この日、SMAPのメンバー・草なぎ剛が全裸になって逮捕された。そのときに警察官に向かって叫んだ言葉を、の子が裸で叫んでいた。おまわりさんこっちですよ!

「俺の生涯最後の勇姿を見よ!」
 
こうして『肉魔法』が始まる。の子のギターからジャジャッ!とリズム隊の演奏がバッチリ合い、かっこよくスタートする。が、そこには裸の男が突っ立ってギターを弾いているという、かっこいいとは言いがたい光景が。肉魔法の肉ってこのことですか?魔法なんですか?の子がギターのボディを一切動かさないまま演奏するため、股間は正面からでは見えない。配慮してるのだろうか。
と思いきや、曲が終わるとギターを思いっきり動かし、大股を開いてジャーン!とキメる。ジャーン!が漫☆画太郎の漫画の擬音のように、股間の登場を表していた。

人が少ないライブハウスに全裸の男が突っ立っていると、さすがに会場は妙なムードに包まれる。「笑っていいのか…?」という空気だが、ちばぎんが「ちんこちんこ…」と小声で解説すると会場が和み、笑いが起きる。
「俺はちんこ出してもかっこいいだろ!!」
の子の発言になかなか同意できずにいる空気の会場。無言である。ステージと客席の温度差がシュールすぎる。笑いが止まらない。なんなんだこの人は。バカなのか。いや、あんなに楽曲やPVを制作しているからバカではない。おもしろすぎる…
「ちんこ出してるとこで、上だけ着たら…!」
の子が威勢よく叫ぶが、そこでちばぎんが「変態だろ」とつっこむ。なんで一人だけ気の狂ったようなことをしてるのに、他のメンバーは普通でいられるのか。全然引いていない。の子は「セクシーだろ!」と返事しながら白シャツを着る。下半身はまだプラプラしている。「うん…靴下からにしたほうがいいんじゃない?」とちばぎん。なんなんだこの会話。「いや靴下は…」と言いかけたの子に、monoが「靴下は履かない。うん、上から着ると…」と解説。そしてまた一言。
「全裸になって何が悪い!」
キメゼリフを盛り上げるかのように、バシャバシャーン!とドラムが鳴る。みさこも笑顔でなぜか余裕の雰囲気。なんなんだこのバンド。なんで変人が一人いるのに普通に会話して、しかも妙にゆるいんだろう。

「俺らでラストだから」とmonoがの子に言うが、「いや、あと何曲かあるから。おめーがバカだから」との子が返すと「うるせーばかくそ!」とmonoが怒る。「あ、やっと元気出てきた。さっきまで落ち込んでたんですよ!」との子がmonoを紹介しようとすると、「うるせえんだよバカ!」と本気でmonoが怒り、それを聞いたちばぎんが声を出して笑う。
そうか、この人たちは幼稚園時代からの幼なじみなんだ。ネットのどこかに書かれていた。お互いが「バカ!」などと罵り合うことが当たり前なんだ。
次は『ゆーれい未満』へ。なんてかっこいいんだろう。フルチンを除けば。「うーっゆれいっ!」の瞬間と、「ですよね」の後、大きな盛り上がりが二回もある。痺れた。フルチン以外は。

「ぶっちゃけお前ら眠いだろ?」
観客に問いかけるの子。当然反応はない。「これはトランクスだ!」との子が紹介し、脱ぎ捨てられたパンツを手に持つ。それでもmonoとちばぎんが会話をしていて気づかない。「はいごめんなさい!なんですか?パンツですか!」とちばぎんが反応してあげる。「パンツを履くんだ!」との子。「だんだん人間に近づいてきたね」とmono。なんだこの会話。なんでこんなにまったりしてるんだ。

「さわやかな夏っぽい曲、聴いてみてくださーい」との子が曲紹介し、「いきまーす」とみさこが言い、『23才の夏休み』へ。
「いきまーす」って。軽音サークルのライブじゃないんだから。明らかに野心的でぶっ飛んだことをやろうとしているの子の脇で、どうしてかゆるい空気が続いている。このノリがまったくもって謎だ。
それでも曲自体は素晴らしく、演奏も全裸だった人間とは思えない。まともだった。

演奏が終わるが、沈黙。僕も含めてだが、すぐにワーッと歓声を上げられる雰囲気ではない。お客さんが少ないぶん、やりづらいのだ。
「あれ?拍手がねえ…眠いだろ!」
笑いながらの子が言う。「このライブの前、野犬みたいに叫んでたんでちょっと後悔してる」と。どうやらこの日、ライブの直前に下北沢の駅前や路上でライブをやっていたらしい。ギターを弾きながら歌っていたらしいが、通行人は全然立ち止まらなかったようだ。「でも!俺は熱いけどな!俺の熱い魂を持って帰ったらいいんじゃない!」と叫び、まるで何百人かを目の前にしてるかのような迫力と気合いの声だ。が、目の前には10人いるかいないかという数だが。
そして『ロックンロールは鳴り止まないっ』。ようやく聴けた。グッときた。
「なんでだ全然鳴り止まねえっ!!」
痺れた。曲の展開が凄まじくかっこいい。白シャツにトランクスという格好のの子であるが、それだけでも十分かっこいいロッカーに見えた。どこにでもいそうな風貌の青年なのに、ステージに上がると変わる。これはライブでは当たり前の光景だろうが、この人は何かが違う。

その後は『夜空の虫とどこまでも』。ここでまさかのパートチェンジ。
の子がキーボードに向かい、「この人が弾けないから」と解説する。どうやらmonoがまだこの曲の演奏を覚えていないので弾けないという。代わりに作曲者のの子がキーボードの前に立ち、メロディを奏でる。一方、monoは何をするかというとその近くで踊っているのだ。
その踊りがいわゆる踊りと呼べるものではなく、シャドウボクシングのような動き。本人はひょっとするとヒップホップのような動きを意識しているのかも知れないが、これは単にアブナイ人のような動きだ。幻想的で詩的な楽曲。踊りは不似合いだろう。見事に変な踊りが曲の世界観をぶち壊していた。そして踊りすぎたのか、キーボードのコードにmonoの足が引っかかって音が出なくなる。ぶち壊すどころか本当の意味で壊してしまった。monoが急いで直し、手を合わせて謝る。が、そこでの子は怒る様子もなく笑顔のまま美しいメロディを弾き続ける。
この姿が印象的だった。
先ほどまで全裸だった男が、突然平穏な雰囲気で、アーティスティックにキーボードを弾いている。そのギャップにグッときてしまった。この人は二面性どころではない。何面性くらいあるんだろう。よく分からない。っていうか、演奏できないからといって代わりに踊るって発想が信じられない。

演奏後、「何やるんだよー」みたいな様子での子が笑いながらmonoを叱る。最後は再びmonoがキーボード、の子がボーカル・ギターになり、『ちりとり』へ。
エンディングにふさわしい曲だった。「奥まで!奥まで!」と目をひんずりむいて熱唱するの子。その姿に感動せずにはいられなかった。

たったの6曲の演奏だったけど、神聖かまってちゃんの存在に見事に心を奪われた。『ちりとり』の歌詞にある通り、完全に心をちりとられたのだ。
最初は全裸だったの子がもはや元通りの服装に。1曲終わるごとに1着身につけていくという展開を見せ、変人がだんだんまともになっていく過程を見た。特に『夜空の虫とどこまでも』のまともさには知性を感じ、ちょっとドキドキした。簡単に言えばバカな言動をしているように見えて、彼はものすごく頭がいい。それがたった25分間でも感じられるライブだった。
再びノートパソコンを手に持ち、ステージを去っていくの子。そして彼に続くメンバー。
下北沢屋根裏は楽屋通路がないので、客席を通ってステージと楽屋を行き来する。話しかけようと思ったが、あまりに感動したので逆に近づく事さえできなかった。とはいえ話す必要はなく、ライブで会話が成立したような気にもなった。ほとんどがディスコミュニケーションだけど、それがまた会話だった。

の子の狂ったようなパフォーマンスと、意外に狂っていない一面と、それにゆるく反応するメンバー。かっこよさ(といっても裸)と、おもしろさ(といってもグダグダな会話)に魅了され、「また次のライブに行く!」と決意した。
誰かにこの人たちの存在を知ってもらいたい。
だって、こんなに面白いのにこのお客さんの数はありえない。あれほど名曲があるのにどうして知名度がないのか。帰宅後、YouTubeの動画の音声を保存し、勝手にCD-Rを作って布教活動しようと準備する。こんなことするのは初めてだ。

次のライブは5月末。あと一ヶ月以上先。場所は同じく下北沢屋根裏。
僕の友人のバンドは、仲の良いバンドのイベントに誘われて色んなライブハウスに出ている。だけど神聖かまってちゃんは違う。どうも友達がいないように思える。だからライブハウスのブッキングライブにしか出れないのかも知れない。
でも、それがいい。
孤独なのが似合っている。孤独である以上、その音楽を聴く相手と一対一で向き合える気がする。大学の音楽サークルの延長線上のバンドもそりゃ楽しいかも知れない。でも、一人で観に来ているお客さんの中との壁を作っている気がする。排他的な空気を感じる人だっているだろう。
僕もそんな気持ちを味わった事がある。だから神聖かまってちゃんの一対一でリスナーと向き合う姿勢は特別に思う。ただ単に友達がいないだけかも知れないけど、彼らのやっている配信だって、向こう側にいる人はパソコンの前では一人なのだ。
一人でいる時とみんなといる時。それぞれ多少性格が違う人もいるはずだ。会えば楽しく話せる人なのに、ブログには暗い事ばかり書いている。そんな人は心当たりがある。あれは一体何なのか。そして自分もそういう部分はないだろうか。
一人になると自分の性格が浮き彫りになる。一対一という関係性は、そういった本性に訴えかけてくる。神聖かまってちゃんにはそれができる気がした。
これからも何十、いや何百。何千、何万とその一対一の関係を作ってほしい。

「僕はいつか 東京のど真ん中で 何千人の前で 存在を見せてやる」

『いくつになったら』にこのような歌詞がある。今日は「東京の下北沢で 十数人の前で おちんこを見せてやる」って感じだったが、いつか東京のど真ん中で、何千人の前で、おちんこじゃなくてその存在を見せてほしい。
そうなると世の中がもっと面白くなる気がする。彼らが有名になれば、テレビに出れば、絶対面白い。そんなことを思いながら『神聖かまってちゃん たけうちんぐベスト』のCD-R制作に勤しんだ。

暗闇の中の小さな光に浮かび上がる、の子の姿。ノートパソコンの小さな光は、彼にとってスポットライトに見えた。
もう一度、いや二度、三度四度、その光景が見たくなりました。

2009年4月23日 下北沢屋根裏
1、肉魔法
2、ゆーれい未満
3、23才の夏休み
4、ロックンロールは鳴り止まないっ
5、夜空の虫とどこまでも
6、ちりとり

ライブ配信(途中まで)

神聖かまってちゃん事件史【特別編】


このたびはLINE NEWS VISIONのシリーズ『人類皆かまってちゃん』をご視聴いただき、ありがとうございました。
監督・撮影・編集・録音を務めたたけうちんぐと申します。

僕たけうちんぐがLINE NEWS VISIONでシリーズを担当するのは、今回で3回目です。「長らく関わってきた神聖かまってちゃんで、コロナ禍におけるドキュメンタリーを制作したい」と打診させていただき、企画実現に至りました。
よくあるバンドドキュメンタリーではなく、あくまで撮影者の主観的なビデオブログで紡げたらと当初から考えていました。スマホ全画面でご視聴いただく縦型動画ならではの没入感と親近感が発揮できる媒体なので、これまで制作したDVD作品や動画などとは違った手法を取りました。

今年の2月末にメンバーそれぞれにインタビューし、9月頭の無観客ライブ配信までの彼らの姿を追いました。その間に感染者数も増えて、緊急事態宣言の発令でいくつもライブが延期・中止となり、音楽業界は嵐に巻き込まれました。
コロナ禍において様々なアーティストが配信ライブに取り組んでいく中、誰もそれをやろうとしなかった頃から罵詈雑言コメントの波に飲まれて活動していた神聖かまってちゃん。
ニコ生もツイキャスも存在しなかった頃、いわば”配信文化の黎明期”の2009年の彼らとの出会いを中心に、本コラムでは「神聖かまってちゃん事件史【特別編】」と題して語られたらと思います。
本体の「神聖かまってちゃん事件史」はこちらに掲載しております。(http://takeuching.blogspot.com/2011/11/blog-post_5.html

『人類皆かまってちゃん』では、の子さん(Vocal, Guitar)の宅録音源を使用させていただきました。
(の子さんの宅録音源はこちらで聴けます https://soundcloud.com/noko-9
彼らと出会った頃、神聖かまってちゃんの音源といえば宅録音源のみでした。これらの楽曲を聴くと、インスタもYouTuberも存在しなかった顔出しがタブーだった”荒野”の頃のインターネットを思い出します。
そこに様々なカルチャーが耕され、プラットホームが建ち並び、今の豊富なタウンが作られていく様を彼らとの12年間で見てきました。
神聖かまってちゃんの歴史を語ることは単なるバンドヒストリーには留まらず、インターネットの近代史をなぞることに近いように感じます。

そんなコラムになればいいと思いますので、ぜひお時間がある時にお読みいただけると幸いです。

(こちらのコラムの投稿URLは、『人類皆かまってちゃん』のLINEアカウントにお友達登録をしてくださった方のみに公開しております。つきましては、SNS上などでのURLの共有および抜粋はお控えいただくようご理解いただけますと幸いです。)


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「“無観客”ライブ配信の先駆け」

それは2009年4月のこと。
お客さんは僕を含めておよそ7人。閑散としたライブハウス、下北沢屋根裏。対バンのバンドが演奏している傍ら、後ろから一人の青年が手に持つノートパソコンの光に照らされながら入ってきた。
の子さんだ。
インターネットに投稿されていた配信動画の中で、新宿の繁華街で叫ぶ姿からは想像できない、おとなしそうな雰囲気だった。
PeerCastという配信媒体で、ノートパソコンから配信中だった。今や当たり前となった”配信”という行為であるが、この頃は今までに見たことがない。ライブハウスの中で、配信している人がいるのが全く新しかった。

神聖かまってちゃんのライブ本番が近づく。monoくん(Keyboard)、ちばぎん(Bass/元メンバー)、みさこさん(Drums)がセッティングをしている中、の子さんは配信中のノートパソコンのベストなアングルを探っている。
これまでに数多くのバンドのライブを観てきたけど、楽器のセッティングよりもノートパソコンの配置を優先するアーティストは初めてだ。
お客さんと思しき7人のうちの数人が実は対バンのバンドマンだったようで、彼らは楽屋へ戻って行ってしまい、神聖かまってちゃんの演奏が始まる頃には僕含めてお客さんが3人程度になった。
いわば、ほぼ”無観客”のライブ配信の先駆けだ。意図しないソーシャルディスタンス。人数制限をせずに密を避けている。そして、ここにはいない遠くで観ているお客さんにインターネットで届ける。これは2020年から現在に至るまで、コロナ禍において数多くのアーティストが音楽活動を続けるための足掛かりとなった。
神聖かまってちゃんは11年前から、それを行なっていたのだ。

そして2009年冬、長らく配信で使用していたノートパソコンを配信中に床に叩きつけて破壊した。往年のロックミュージシャンがギターを破壊してきたように、今のロックミュージシャンはパソコンを破壊する。
破壊には理屈がない。衝動そのものである。インターネットが身近にある世界で、最大の中指の立て方のように感じた。
その翌年の2010年、ステージの背景にニコ生の配信画面を巨大LEDで設置したライブを渋谷で行なった。右から左へと流れる大量のコメント。もはや照明では表現できない演出にも感じる”弾幕”、そしてインターネット上の”職人”が生み出すアスキーアートの数々が、新たなライブ表現であり、もはや芸術の域に達していた。

ライブの興奮を伝えるのは、現場のお客さんの歓声だけではない。この会場にはいないリスナーのコメントが映し出されることで、一人一人の思いが可視化され、現地とネットをつなぐ共感性を孕んでいた。

1996年、オアシスがロンドンで25万人を動員したライブで「ディスイズヒストリー!」と叫んだ。そして2010年、神聖かまってちゃんが東京でインターネットを介したライブで「ディスイズヒストリー!」と叫んだ。

新たな歴史が刻まれた。世界初の”インターネットポップロックバンド”が生まれた瞬間だった。

インターネットのキャパシティは無限大だ。たった数人のライブハウスから、何百人、何千人へと届けられるかもしれない。
だが、そんな利便性がある反面”諸刃の剣”でもある。容赦ないコメントが飛び交う。「下手くそ」「ブサイク」「クソバンド」…匿名であるからこそ罵詈雑言がメンバーの目に入るが、の子さんはむしろ率先してこうしたコメントを拾って読み上げる。穏やかな自宅配信中でも、他のメンバーの表情が明らかに曇っても容赦しない。

アーティストには繊細な人が多い。作品やライブなどそこに至るまでの時間や労力、こだわりや才能。人生を賭けるからこそ、冷酷なコメントに心を壊すことがあるだろう。今で言うと誹謗中傷に近いコメントの嵐でも、の子さんはそこに立ち向かおうとする。巨大匿名掲示板でも楽曲のURLを貼っては、「そんな曲じゃこの先誰からも評価されずに死んでくだろうねwww」と書かれてしまっても、立ち向かおうとする。
それはきっと、そんな荒波がインターネットであること、本音と本音のぶつかり合いであることを理解しているからだろう。だから向き合う時は向き合うし、怒る時は怒る。プライベートも晒す。神秘性が皆無に等しい。リスナーと対等でいようとする心意気が、他のアーティストにはなかった。

もちろん、そんな神聖かまってちゃんに関わるスタッフも、容赦ないコメントに飲み込まれる。僕たけうちんぐも、神聖かまってちゃんの人気が走り出す頃は批判や中傷を受けてきた。それでも、の子さんの心意気にならって前を進み続けてきたつもりである。
喧嘩、号泣、解散危機。デジタルタトゥーは数知れず。恥の過去は消えなくても、それも人間だよ。それでいいんだよ。と、成功や失敗に囚われずに自己を表現していくためには、勇気と狂気が必要不可欠だったように思う。




(2010年4月 神聖かまってちゃんとたけうちんぐ - 撮影:佐藤哲郎さん)


「“つまらない人”の勇気と狂気」

普段はおとなしくて口数が少なくて、学校でも目立たなかったような青年が、どうしてここまでの荒波に挑めたのか。
『人類皆かまってちゃん』の最終話で、の子さんは自らを”つまらない人”と称した。教室の片隅から窓を飛び出していく、廊下を走っていくストーリーに必要なもの。
それは、勇気と狂気。“つまらない人”が果敢に挑戦し、他の人生では得られない大きなものを手にしていく。その姿は教室の窓際にいる多くの人たちに突き刺さる。の子さんは自身の”弱さ”を曝け出す。その姿から「自分にもできるかもしれない」と希望を抱かせ、背中を押してくれる。

立派な人が立派なことをする姿に、どこに心を動かせるものがあるのか。そうではない人がかっこよく輝く瞬間がある。ライブの彼らの表情はたくましく、生き生きとしている。僕たけうちんぐは、そんな神聖かまってちゃんを誰かに伝えたい、もっともっとかまわれてほしいとカメラを手にした。

の子さんの狂気には、狂気をもって応じたい。撃ちまくるようにライブを撮影し、アップロードしていた。彼らの「見られたい」と、僕の「見せたい」が同じくらいの温度でないと絶対にいけない。
撮り始めた当時、個人でライブを撮影してYouTubeにアップする人はほとんどいなかった。瞬時に伝えられる手段として動画をアップロードする。そのために彼らの配信と同等の熱量でいたように思う。
当時は伝達のつもりで撮影していたが、今は記録という役割が生まれてきた。後々語るための場所として、過去の動画が機能しているように感じる。

それを初めて感じた瞬間が、『モテキ』『バクマン。』などで知られる映画監督の大根仁監督が、かつてのサマーソニックの一般公募枠『出れんの!?サマソニ!?』に神聖かまってちゃんが出演した時の動画を、その後ブログに貼ってくださった時である。
(ブログ:大根仁のページ『神聖かまってちゃん』http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html
バンドのことのみならず、バンドを通して自身の過去や思いを吐露するために動画は機能する。『進撃の巨人』の作者・諫山創さんのブログでも、その思いを語るために貼ってくださることで、神聖かまってちゃんの存在が知られる。
(ブログ:現在進行中の黒歴史『神聖かまってちゃんの新曲ジャケット』http://blog.livedoor.jp/isayamahazime/archives/9546690.html

今後も動画が残ることで、彼らを撮り始めた頃では思いもよらなかった展開があるのかもしれない。そんな希望が、伝達から記録と化した動画にはあると思う。誰かの表現に、誰かが心を動かすことがある以上、きっと。

「死にたい」などと負の感情をストレートにぶつける。ニートやひきこもり、精神障害。若者の死因の第一位が『自殺』である今、の子さんの表現は決してマイノリティではなく、この生きづらい時代においてポップなものにも感じている。monoくんが『人類皆かまってちゃん』で何度も言っていた、「お前だけじゃねえんだぞ」。映画や小説、漫画ではネガティブな題材を扱ったものでもヒットするが、音楽はどうしてそうではないのだろう。今の時代は特に、もっと神聖かまってちゃんが聴かれても良いのではないか。もっと必要としている人がいるのではないか。

神聖かまってちゃんを知った頃に観た、の子さんが自ら作った『ロックンロールは鳴り止まないっ』のMV。
様々なレジェンドのロックミュージシャンたちの映像を羅列したものだ。そこに映されたヘルメット姿のザ・タイマーズや、顔面血塗れのGGアリンなどが、その後”神”と書かれたヘルメットを被ったり、流血しながらライブをするの子さんの姿に繋がる。このMVは今思うと、その後の活動の指標のようだ。
魂を燃やせる場所であり、自由でいられる居場所。それを必死に得ようとした神聖かまってちゃんの2009年、2010年の激動の日々。たとえ目の前にお客さんがいなくても、カメラの向こう側のお客さんへの熱量は変わらない。それはコロナ禍ですっかり変わってしまった世界において、とても重要なことに思う。

“かまってちゃん”は多くの場面で蔑称として使われる。自らをそう名乗り、頭に”神聖”と付ける彼らが楽曲でも配信でも負の感情を表に出すのは、ある種のコンセプチュアルにも感じる。いくらやっても許される、とも言える。それは彼らが必死で手に入れた自由そのものである。
社会では感情を表に出すことが許されない場面が多くて、不自由だ。失敗を許さない不寛容がはびこる現代において、神聖かまってちゃんは人の弱さを「それでもいいんだよ」と認めてくれる存在だと感じている。
みんな、かまってちゃんでいいんだよ。
こうした思いから、コロナ禍によって自分にも他人にも「〜べき」が増大し、萎縮していく世の中に反抗するように、本シリーズを『人類皆かまってちゃん』と名付けた。

ビートルズやオアシスなどは労働者階級から、チャップリンなどは過酷な貧困から。大きな歴史を作り上げてきたアーティストたちの多くは、底辺から這い上がってきた。それと同様に、神聖かまってちゃんはひきこもりやニートから這い上がった。
人生は、生まれ持った身分や学歴だけで決まるものではない。点数が存在しないのが芸術であり、一人一人が頭ではなく心で感じることが最高の楽しみ方だ。

神聖かまってちゃんはそれを体現している。彼らと出会った2009年から、それは変わらない。
どんな時代においても、神聖かまってちゃんは鳴り止まないっ。

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コラムを読んでくださり、ありがとうございました。

配信という参加型セルフドキュメンタリーや、の子さんが自身のニコニコチャンネルに投稿するドキュメンタリー。彼らはすでに映像コンテンツが豊富です。でも、これらの神聖かまってちゃんの”自撮り”とはまた別の視点で、”他撮り”でしか表せない姿を今後も伝えていくつもりです。
なぜなら、外から撮られたカメラでは、彼ら自身が気づかない横顔が捉えられるからです。本人の無自覚な魅力を伝えることこそが、カメラマンとしての宿命だと思っています。

元々出版社に勤めていたりライターのお仕事を長年やっていたので、今回久しぶりに文章でも神聖かまってちゃんをお伝えできてよかったです。
撮ることが目的ではなく、伝えること。その先にあることがやりたかったので、『人類皆かまってちゃん』ではインタビュー構成などでライターとしてのお仕事の力も発揮できている部分もあり、今までにずっとやりたかったことを実践できて嬉しかったです。

彼らを知り始めた頃は、夢中になって”布教活動”をしてしまいました。たけうちんぐのSNSで神聖かまってちゃんを知ってくれた当時のマネージャーや、音楽関係者やカルチャー雑誌の編集者に、の子さんの宅録音源を勝手に焼いたCD-Rを手当たり次第配り、その後事務所であるパーフェクトミュージックの所属が決まり、次第に知られていく様がとにかく楽しかったです。
「どんどん広まっていく!」が何よりの面白さであり、原動力でした。彼らの映像の撮影も、見知らぬ方々にCD-Rを配るような気持ちで行なっています。それは今も変わらないでいます。

神聖かまってちゃんの撮影を始めてからの数年間は、映像では食べていけませんでした。彼らが有名になるからといってたけうちんぐにお金が入るわけではなく、撮影に関しても長年無償で行なっていました。なんとか自分の力で他の場所で映画監督やMV制作などたくさんの映像のお仕事に励むことで、何年間もかかりましたが映像を生業にできています。
そして今、LINE NEWS VISIONという媒体でたけうちんぐからお誘いをさせていただき、コロナ禍という過酷な時代においてそれをドキュメンタリーに昇華しました。そんなお仕事でご一緒できたのは、12年間付き合ってきて個人的にとても感慨深いことであります。

改めて、『人類皆かまってちゃん』をご視聴いただき、ありがとうございました。アーカイブとして残りますので、今後もご覧いただけると幸いです。

ONE MEDIA - バンドがコロナ禍を生きる『人類皆かまってちゃん』
https://news.line.me/issue/oa-vi-kamattechan/ql599o6byu1r

本シリーズや本ブログのご感想ツイートを、大変ありがたく読ませていただきます。今後の撮影・編集の励みになりますので、ぜひ書いていただけるとありがたいです。