たけうちんぐ最新情報


⬛︎ たけうちんぐ/竹内道宏と申します。ライターと映像作家をやっております。 プロフィールはこちらをご覧ください。
⬛︎ 文章・撮影などのご依頼・ご相談はこちらのメールアドレスまでお気軽にお問合せください。takeuching0912@gmail.com
⬛︎ YouTubeチャンネルはこちら→たけうちんぐチャンネル/Twitterアカウントはこちら→

2009年5月6日水曜日

涙の種、笑顔の花、生きた証

僕があの女の子のことが好きな理由は、一体何なんだろうか。

僕の隣には、1人で来ている女の子が立っていた。
僕は友達同士やグループで集まっている人よりも、1人で来ている人のほうが気になる。彼女、仕事は何しているのだろう。それとも学生なのかな。1人で電車に乗って、1人でここに来て、終わった後は1人でにやにやしながら帰るのだろう。
そして思い出し、こう思うんだろう。
今日は楽しかったな、って。明日からもがんばろうかな、って。

その女の子も、僕と同じ用件だった。あそこでキラキラと輝く、24才の女の子に用があった。

僕はそのキラキラに押しつぶされそうになった。あの子は真っ直ぐで、がんばり屋さんで、かっこよかった。彼女を見るときの僕は女の子でありたかった。性別なんて関係なく、人として尊敬できる女の子なのだ。ひねくれ者の僕の涙は意外にも曲線を描かず、真っ直ぐに床に落ちていく。
この涙は何?
どこから来てる?
あまりに真っ直ぐな人を見ていると、なぜか涙がこみ上げてくるのだ。

「どうして、そんなに好きなの?」
ある日、友人からこう聞かれた。
僕は改めて、その24才の女の子のことが好きな理由を考えた。すると、この約1年間の出来事や、その理由には様々な人生が関わっていることを思い出した。

その女の子が9才の誕生日に白血病のお父さんからもらったバースデイカード。
「お誕生日おめでとう 9才 明るく元気な優しい子 いいぞいいぞ」
病室から送られた手紙にはこのような言葉が添えられ、その女の子が大好きなネコのイラストが描かれていた。
お父さんは病室で貼り絵の絵本を作っていた。空を飛ぶことに憧れ続けたダチョウが様々な場所に行き、仲間と出会いながら旅をしていくというお話。そこには「娘には自由に好きなことをやってもらいたい」というお父さんの想いが込められていた。

だけどお父さんの死後、その女の子は、バースデイカードを捨ててしまった。
生前のお父さんの女性関係の噂を知ってしまい、ショックを受け、衝動的にバースデイカードを捨ててしまったのだ。それからはお父さんを思い出す全てのことから避けるように生活をしていた。

やがて2年経ったある日、女の子は部屋にあったラベルの貼っていないビデオテープを見つけ、何だろう?と思い、再生すると、そこにはお父さんの姿が映っていた。
女の子はその映像を見て、幼い頃、お父さんが色んな場所に連れて行ってくれたことを思い出した。
そしてお父さんが、ある夢を追っていたことを思い出した。
自分がお父さんのぶんまで、人生をまっとうする。
「生きた証を残し続ける」
それから女の子は、お父さんの夢を追うことを決心した。

昨年9月、その女の子が絵画展を開いたので向かった。
偶然女の子のお母さんに出会い、その子が描いた『ホーリーマウンテン』というマニアックな映画のイラストの前で、お母さんが解説してくれた。
これはお父さんが大好きだった映画らしく、薦められた女の子はイラストに描くほど、いまだに大好きだという。
僕も、肉親とまでは言わなくても、たとえば僕が死んだら、僕が大好きだったものを誰かが引き継ぐように大好きでいてほしいな、と思った。『ホーリーマウンテン』はとても気持ち悪い映画だけど、この家族をつなげる大切な映画なんだなと思い、胸が熱くなった。

女の子が捨てたお父さんからのバースデイカードは、お母さんがゴミ箱からこっそり拾って、大切に持っていた。白血病で力も入らない手で書かれた言葉。
「お誕生日おめでとう 9才 明るく元気な優しい子 いいぞいいぞ」
成人した女の子はそのバースデイカードを持って、声を震わせた。
捨ててしまったこと、思い出さないようにしていたこと、すべて思い出し、長かった反抗期が終わったのかも知れない。

お母さんは僕のミクシィの日記を気に入ってくれていた。
「この方が書く文章読んだら泣いちゃうのよ」と周りの友人の方に言っていた。でもそれは、僕が娘さんのことを書いているからだと僕は思う。それほどお母さんは娘さんのことが大好きなんだろう。その女の子にも僕の日記を見せたのか、初めて僕が女の子と接したとき、
「竹内さんですか!?会いたかったんです!!」
突然叫んでくれた。
でもそれは、すべてこちらのセリフだった。
僕が一方的に憧れ、尊敬し、大好きなだけなのに、こんな僕にさえも元気に接してくれた女の子のことが、ますます好きになった。
だから先々月と今月と、2度会いに行った。

5月6日、そこには僕と同じ気持ちの人が集まり、暗い中、静かに鼓動の落ち着きを求めつつもそれが止まらず、流れているBGMが大音量になると、そこにいる人はその女の子の名前を連呼する。
そして明るくなる。目の前に女の子が現れる。

この子がそこに立っている理由、僕がそれを見に来ている理由。

これらの辻褄は、しばし、目一杯の楽しさで吹き飛んだ。理由なんていらなくなった。歌って、踊り、笑い、ときおりグッと涙をこらえ、すべてが一級のエンターテイメントに消化され、小難しいことや湿っぽいことは一切排除された。
でも、僕は自分が流した涙の理由を知りたいと思った。
周りを見渡すと少なからずそれが見えてきた。
キラキラした人をキラキラした目で見る人を見ていると、その理由がはっきりと分かってきた。

女の子のお父さんが病室で描いた絵本の最後は、このような言葉で締めくくられていた。

「鳥が空を恋ひ 魚が海を慕ふやうに 私はあなたを 愛するのでしょう」

お父さんの娘への気持ちなのだろう。これ以上の愛はあるのかなと思う。無償の愛。見返りを求めない愛。これらをお父さんは病室から送っていたのだろう。

そして僕の周りの人たちも送っていたのだ。その真っ直ぐに生きる女の子は昨日、24才の誕生日だった。それはまるでお父さんがくれたバースデイカードのように、とても優しく、包み込むかのようだった。
「お誕生日おめでとう 24才 明るく元気な優しい子 いいぞいいぞ」
まるでそう言っているかのように、女の子の名前を叫び続ける。

女の子は喉の調子が悪いというのに、ひとりひとりの呼び声に応えようとし、土下座をしたり、何度もありがとうありがとうと言い、なんとか感謝の気持ちを伝えようと必死だった。
明るく元気な優しい子。
お父さんが15年前に書いていたことはずっと変わっていない。

観客席にいる人たちが鳥であり、魚だった。ステージにいるあの女の子が空であり、海だった。
僕も鳥であり、魚になれただろうか。
あの女の子はそれでも僕に握手会で叫んでくれたように、
「いや、私が鳥です!!魚です!!」
そう否定し、17日も叫んでいそうな気がする。
声帯炎になったと聞いて、とても心配する。
今度は僕が叫ぶ番だと思っている。それは当然、僕に限らず、多くの人がそう思っている。

僕の隣で観ていた女の子は1人で来ているようだった。ステージの立つ女の子の言うことで笑い、共に歌い、名前を連呼する。僕は自分の言葉でこの日のことを語るより、隣にいた女の子の言葉で語りたいと思った。1人で観に来て、よっぽど、あの女の子のことが好きなんだろう。ずっとこの日を心待ちにしていたんだろう。そう思うと、その空間がとても愛おしいものに思えてきた。

ひょっとすると日々何かと闘っているのかも知れない。何かを抱えて生きているのかも知れない。

あの空間のことを語るのには限界がある。すべての人の人生がそこに集結しているからこそ、僕1人の言葉では決して語り尽くすことができない。文章には限界があり、ましてやここでは表現できない。感動という言葉よりももっと適切な言葉を探したい。
だけど、見当たらない。
お父さんがいてお母さんがいて子どもがいる。歌う人がいて聴く人がいる。涙は笑顔の種になる。それが歌になる。笑った顔が花だったら、涙は種になる。みんなが鳥だったら、あの子は空である。僕らが魚だとしたら、あの子は海。
だからこそ、17日は花を持っていこう。
笑顔だけだと見えないかも知れないから、笑っていることを伝えるために、『涙の種、笑顔の花』をあの子が歌っているとき、客席で花を振ろう。これはマイミクのくるみさんがメールで送ってきてくれたこと。17日のNHKホールのコンサートでは、女の子がブログで言うとおり、笑顔の花を咲かせよう。きっと僕以外の人も同じ気持ちになっているに違いない。

あの女の子が土下座で表現するんだったら、こっちにも方法がある。そのくらいの勢いで、お互いが謝り倒す関係性。それが、マジカルツアー2009。昨年の貪欲☆まつり2008。僕が見た、あのキラキラした光景。

すなわち、しょこたんのコンサート。

生まれつきの胃腸炎と闘いつつ、薬を飲みながらステージに立ち、「貪欲」という言葉を掲げ、一分一秒この世に生きた証を刻み込む人。
毎日楽しいことや感じたこと、自分が大好きなものを率直にブログに記し、同じ趣味を持つ人たちに友達感覚で親近感を持たさせる人。
彼女はステージの上で、痛めている喉で何度もこう叫んでいた。
「まりがたす!!」
「まいしてる!!」

僕にとっては、ありがとうも、あいしてるも、どっちも恥ずかしくてなかなか言えない言葉なんです。
でも、この人が普段から言っている「まりがたす」や「まいしてる」は、なんだか言いやすいんです。恥ずかしがりの僕にとっては、ありがたいことなんです。いや、まりがたいことなんです。

だから言います、しょこたん、まいしてる。

0 件のコメント:

コメントを投稿