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2008年11月29日土曜日

映画『愛のむきだし』

何年か前の失恋を思い出した。
僕はフラれた。誕生日プレゼントとして渡すつもりだったケーキとマフラー。これをどうしようか。捨てるわけにもいかず、持っているわけにもいかず。
気がつけば江井ケ島海岸。11月の夜。誰もいない海。
叫んだ。暴れた。海に感情を吐き出した。そしてケーキとマフラーを海に投げた。飛距離は虚しく、波打ち際に戻ってきた。波の音が不定期に響き、月が唯一の喋り相手。月による無言の尋問の末に白状した。
あなたが好きでした。好きだったのに、好きだったのに。

704 :名無しさん:2008/11/30(日) 11:34:17
 >叫んだ。暴れた。
 うわあキモスwwww

705 :名無しさん:2008/11/30(日) 12:01:45
 自己陶酔乙

706 :名無しさん:2008/11/30(日) 13:13:19
 >そしてケーキとマフラーを海に投げた。
 これフツーに環境汚染じゃね?

707 :名無しさん:2008/11/30(日) 13:27:19
 偶然居合わせた人にとっては
 コイツ単なるキチガイでしかないwww

708 :名無しさん:2008/11/30(日) 15:55:37
  >>707
  禿同

709 :名無しさん:2008/11/30(日) 16:07:49
 地球の環境よりも自分の恋のほうが大切なんですね。わかります。

710 :名無しさん:2008/11/30(日) 16:50:24
  >月が唯一の喋り相手。
 。・゚・(ノД`)ヽ(゚∀゚ )アヒャヒャ

などと、後で自己批判をし、自分内で勝手に炎上した。
冷静になって自分の行為を客観視すると、とんでもなく狂ったように思えてきた。
当時このようなことをホームページの日記に赤裸々に書くと、有名ブログの管理人の目に留まり、感動され、紹介された。そして僕のことを知らない多くの人が僕の失恋を知ることになった。やがて僕は自分自身とホームページの存在自体、ネット上で文章を書くという自己顕示が恥ずかしくなり、ホームページを閉鎖するに至った。

どうして恋をすると狂ってしまうのか。何かがむきだしにされてしまうのか。
しかし、僕は完全に赤裸々になってはいなかった。
確実に存在する何かを隠していた。それは、勃起だった。最も身近であり、現実的なことを書いていなかった。
恋は、人を詩人にし、勃起させる。
この両方をとてつもないテンションで描いた映画を観た。
東京フィルメックスが開催されている有楽町の大きなホールで、園子温監督の新作『愛のむきだし』を。

4時間という長さは邦画史上最長らしいが、驚いたことに、一切だれることがない。圧倒的な勢いでぐいぐいと引き込まれてしまい、休憩時間が途中10分間あったけど、必要ないくらいだった。

クリスチャンの家庭で育った男子高校生ユウは、亡き母の言葉をずっと忘れずに生きていた。「いつかマリア様のような人を見つけなさい」と。やがて父に愛人ができ、その影響で父は変わってしまう。父から毎日懺悔を強要され、罪を何も思い出せないユウは、しまいに自ら罪を作ろうと「罪作り」に励むことになる。
キリストの教えに最も反すること…それは性!盗撮!
ユウは女性のスカートの中を盗撮する技術を身につけ、立派な罪を作り続ける。
「懺悔さえすれば父に愛される。振り向いてくれる」
父からの愛への執着心がユウをいつしか盗撮のカリスマにまで仕立てあげていくが、ユウは盗撮をしても性欲が湧かない。そして亡き母が言っていた「マリア様」は見つからない。

しかしそんな中、奇跡は起きた。
マリア様がいたのだ。
それは女子高生。大勢の男とケンカしていた。その名はヨーコ。腕に入れ墨を彫ってあり、キリストを愛していた。
この人だ!この人がマリア様だ!
ユウとヨーコは知り合い、ユウは生まれて初めて恋をした。2人は初めて恋心というものを知る。

それからユウは勃起が止まらなくなった。ヨーコのことを思うたびに勃起する。
「ついに勃った!」
それからヨーコは胸が痛くなる。そして初めてオナニーを覚えた。
「これは何…?」

しかし、そんな2人を引き裂くのは会員数が多く、高層ビルまで作られるほどの大きな新興宗教団体だった。ヨーコは家族丸ごと新興宗教に洗脳されてしまい、ユウはヨーコのことを思うあまり、勃起しながらも、彼女の心を取り戻すために、新興宗教との全面戦争に挑むことになる。

以上、これで前半の話。
前半は赤裸々なラブコメとして劇場内も爆笑の渦になるほど。勃起のタイミングも、ユウとヨーコの心のすれ違いも、声を出して笑ってしまうシーンばかり。
そして盗撮の動きも本格的なアクション映画のようで、顔がズームアップするところなんてブルース・リー映画のオマージュ。女囚さそりに扮するところや、数々のゲスト出演者、板尾創路、吹越満、漫画家の古屋兎丸、岩松了、構成作家の倉本美津留、AV女優役に紅音ほたるなど、園子温監督の作品のために集まった著名人が次々と顔を出していく。

しかし後半はどんどんシリアスになっていき、そもそも愛というものが一体何なのかを追求する。
何にすがり、何を目的に信じ、誰を愛するべきなのか。
愛って本当に重要なものなのか。
全編を突き通しているのはユウの一途な恋の衝動。そして、愛というものがやがて狂気と流血の物語に展開していく。

本編開始から約40分後に初めてこの映画のタイトル、『愛のむきだし』がバン!バン!バーーン!と大々的に出る。このタイミングが見事で、そしてその後からが、もう、本当にかっこいい。ゆらゆら帝国の『つぎの夜へ』をBGMに、チャプターを分けて、主要3人の独白が始まる。
この独白がたまらない。
テンポ良いカット割りと、それぞれの人物による詩的なナレーション。園監督の前作『紀子の食卓』ではその演出は冴え渡っていたけど、『愛のむきだし』でも健在。

まずは新興宗教団体の信者である、怪しい女・小池の独白。父親からの虐待と、父親への復讐の過去。学校内で刃物を振り回し、女生徒を次々に刺していく。
「ねぇ、セックスって汚らわしい行為ってこと知ってる…?テメーら全員ヤリまくってんだろうが!!」
叫び、刺していく。学校内が流血の嵐。

そしてユウにとっての"マリア様"、ヨーコの独白。浮気性の父親への嫌悪感が、やがて男性不信へと変わっていく。「男はクズ。男は全員死ね」といった怒りに満ちたナレーション。この世のすべてをぶち壊したいような破壊衝動にかられ、かつて存在した家族の風景を凶器でメタメタに破壊する。唯一信じられる男はカート・コバーンというように、カリスマアーティストを神格化した、そのへんによくいる女の子でもある。

テレビのニュースで女子高生が学校に立て篭り、散弾銃でクラスメイトを撃ち殺していく映像を見たヨーコはその教室の中に自分自身を投影する。
「雑踏の街の中、見えない銃弾がたくさん飛び交っているが、それに気付かずに人が歩いている」
ヨーコのナレーションが胸に迫る。銃弾が身体すれすれに飛んでいるというCGが使われ、無差別殺人の恐怖に満ちたこの現代を描いていた。

いかに演技というものが偉大であるかを改めて思い知らされた。
というか、演技だと思わせないほどのリアルな喋り方、絶叫、鼻水垂らしてまで泣く迫真なもの。4時間、まるで特別な映像体験をしているかのよう。USJか何かのアトラクションかと思うほどの「体験」を感じた。それは『クローバーフィールド』などを完全に凌駕していた。VFXよりも、俳優による演技のほうが大迫力であることに気付いた。

新興宗教に洗脳されたヨーコの心を取り戻すために浜辺でユウが取っ組み合いのケンカをしながら説得するシーン。
「こっちの世界に戻ってこい!!」
「こっちの世界って、あんたの世界のことだろ!!」
ヨーコはユウの世界にまったく魅力を感じない。

上映前の園子温監督と社会学者の宮台真司とのトークイベントでも話題になっていたけど、新興宗教には二元論が存在し、「こっちの世界」と「あっちの世界」に分かれる。
そもそも、どちらがその人にとって素晴らしい世界なのか分からない。
その境目でもがき苦しむユウとヨーコの関係には、「快楽と苦悩」「真実と嘘」「キリスト教と新興宗教」「理性と本能」という「こっちの世界とあっちの世界」がたくさん存在する。それらの葛藤は頭を抱えるほど重たいようにも見えるが、とんでもなくシリアスな場面なのに、ヨーコの股間を見ると勃起する。そういった鼻で笑ってしまうようなものとしても描かれる。
この物語は、実話が元になっているらしい。園監督の知り合いの人の妹が新興宗教に入り、その人が妹を「こっちの世界」に取り戻したという話をヒントに書いたらしい。

この物語に登場する若い男女3人に共通していることは、親からの愛が欠落しているところであり、その愛を穴埋めするためにもがいているところだと思う。
心にぽっかりと大きな穴があいているため、宗教、変態行為、暴力などで埋める。
あるはずのものを失ったとき、たしかに、埋めたくなることがよくある。

そしてこの3人はまるで境界性人格障害のようで、とにかく愛が必要なのだ。もがきながら求めている。愛のためには何でもやる。
自分を犠牲にしても、相手を犠牲にしても、世界を敵に回しても。愛なのだ。愛しかない。自分の愛をむきだしにして、他人に愛を求めている。やがて物語は刃物による殺人や、爆弾によるテロにも発展する。それは1人の男の子の愛への貪欲な精神によるもので、「世界が変わるかもしれない」というスレスレの感覚を描いていた。
愛、愛、愛。とにかく愛がなければ!!愛こそがすべて!!
血と涙と渦巻く泥臭い感情を抱え込んだ、この映画自体が愛を叫んでいた。

ユウがヨーコを説得する浜辺のシーンで、ヨーコが新約聖書の一部分を叫ぶ何分間もの長回しがある。目をひんずり剥いて、ユウを見て叫ぶ表情が延々映る。
その知的な文句と感情的な表現とのギャップは、鬼気迫るものがあった。
僕も映画を観終わった後に興味を持ち、ネットで調べた。コリント十三章の愛についての部分を叫んで朗誦する。

「愛は寛容であり!!愛は親切なもの!!人を妬まない!!愛は自慢せず!!高慢にならない!!礼儀に反することをせず!!自分の利益を求めず!!怒らず!!人のした悪を思わず!!不正を喜ばずに真理を喜ぶ!!すべてを我慢し!!すべてを信じ!!すべてを期待し!!すべてを耐え忍ぶもの!!」

壮絶だった。このシーンが何を表現したかったのか、何を描いているのかは言葉にする必要はないと思う。
このヨーコ役の満島ひかりの演技がもうほんとめちゃくちゃ凄い。上映前に舞台挨拶で出てきたときすごく可愛かったのに、オナニーやるし鼻水垂らすし暴れるし絶叫するしで、壮絶なものばかり見せられた気がする。

思えば、園子温監督の演出にかかるとこのような奇跡が起きまくっている。
『夢の中へ』の電車の中で狂いまくっていたオダギリジョー、『奇妙なサーカス』の思わず引いてしまうほどのいしだ壱成、『気球クラブ、その後』の泣かずにはいられない永作博美、『エクステ』の気持ち悪すぎる大杉蓮、『紀子の食卓』の心が張り裂けそうになるほど叫ぶ吉高由里子。

『愛のむきだし』はユウとヨーコが出会うことを『奇跡』と呼んだ。
だけどこの映画と、この映画に出ている役者たちの演技こそがまさに奇跡としか言いようがなく、
上映後に園子温監督が質疑応答でも言っていたように、事務所やファンの関係でこのような演技を見せる日本映画が少ない今、鬼気迫る演技をし、感動を呼び起こした、この映画に主演した西島隆弘くんを褒め讃えるしかない。AAAという大人気グループに所属している西島隆弘くんの映画初主演作だということで、ファンの若い女の子がたくさん来ていた。
舞台挨拶で登場すると「キャー!!」という黄色い声援。
ファンの女の子たちにはさぞかし辛い内容だったかも知れない。だって、盗撮し、勃起し、キスしまくり、狂っているんだもの。

でも、この映画は来年数多くの映画祭に出品され、確実に、ここが重要です、カ・ク・ジ・ツ・に!!世界的に評価される。僕はこの映画を機に西島隆弘くんが気になった。今後テレビに出ていたら見たくなる。チケットを手配してくれて、一緒に観に行った白神さんが『愛のむきだし』の撮影現場での西島隆弘くんについて喋ってくれた。深々と挨拶をする、ものすごく良い子だったらしい。ならば絶対出世するに違いない。

園子温監督を、およそ7年ぶりに見た。
18才の頃、大阪の梅田で『自殺サークル』公開初日の夜、自由に参加できるオールナイトでの梅田の飲み会があった。そこに僕が「何か自分にとって変化するものがあるかもしれない」という希望を抱いて1人で参加したことを思い出す。

そこで僕は園子温監督が嫌いになった。
酔っぱらい、セクハラをし、「死ね!」を連発する監督。僕も「死ね!」と言われた。
映画監督というものはここまで人格破壊している人種なのかと、監督の人間性というものに激しい嫌悪感を抱いた。いや、あそこに居合わせた人はみんな監督の暴れっぷりに驚いたと思う。倉本美津留さんが園子温監督を落ち着かせていなければ、ちょっと危ないことになっていたかも知れないほどだった。
僕の中で密かにトラウマにも近い恐怖心さえ蘇る。

しかしそこで園監督は時折、寂しそうな表情を見せていた。
「俺は人に嫌われることがとてつもなく恐いんだよ」
「俺らは結局、死ぬんだぜ?どんだけ頑張って生きてようが、結果を残そうが、どうせ死んじゃう。それって虚しくないか?」
だけど、今思う。
今、僕は『愛のむきだし』という凄まじい映画を撮った園子温監督が好きで仕方がない。
そして、このような映画に出会えた人生を誇りに思う。
僕のひねくれているのか、率直なのか分からない感性と、拙くてありふれた人生経験が、この映画に反応したのだから。

隣に座っていた白神さんが質疑応答で、
「園さん、だいっすきです!!これ、すっごい映画です!!もう今心臓ばくばくいって止まりません!!」
と、ゆらゆら帝国の音楽の使用意図などについての質問を完全に忘れて感情的に感想しか言わなかったのが面白く、そして、本当その通りだと思った。よくぞ言ってくれました。劇場内に拍手が起こった。同意者がたくさんいたということなんだろう。

監督は映画の中での余白を拒む。
作品の中で登場人物の独白が多く、何人もナレーションするのが特徴的であり、僕が大好きな部分だったりするけど、その意図は、「余白の中で観客に勝手に想像してほしくないから」ということが宮台真司との話の中で分かった。
元々詩人として活躍した繊細な部分と、90年代に『東京ガガガ』で渋谷の街を占拠したりという大胆な部分が、奇跡のように映画の中で絡み合っている気がする。映像は血や狂気沙汰なのに、ナレーションは極めて冷静に詩的。これが園子温監督の作風で僕が最も愛するところです。

『愛のむきだし』はゆらゆら帝国の曲が効果的に使われており、主題歌の『空洞です』はこの映画のテーマとも言えると思う。愛ゆえに心の中に空洞が存在し、それは空虚とも呼ばれ、満たされた分喪失したものが心に穴を開け、それを埋めおうと、宗教や音楽や物や性欲で補おうとする。

何かが好きであったり、何かに依存していたりすると、その人の現在や過去が垣間見える瞬間がある。その人には今、それが必要なんだろうと思う。それがなければ倒れてしまいそうなほど、支えになっていることがある。それも、お互いに。
音楽やカリスマであればそれはファン、宗教であればそれは信者、恋愛であればそれは彼氏、彼女、家族であればそれは…

となると「関係」というものが浮き彫りになる。
『自殺サークル』『紀子の食卓』で登場する自殺サイトには「あなたはあなたの関係者ですか?」という言葉が刻まれていた。他人との関係は言葉で簡単に言い表せることができるが、自分自身との関係は、一体何なのだろう。

意外にもこの世界はあっけなく終了することができ、この人生も今僕が刃物で自分の首をぶっ刺せば一瞬で終了する。
秋葉原で暴れた加藤をある巨大掲示板の人たちは神格化した。
「あれは、俺だ。加藤は、俺の分身だ」
テレビや世間は彼を完全悪、変質的なものとして捉えたが、意外にも、誰もが彼になる可能性を秘めている。そして、彼に近い存在の人はたくさんいるのかも知れない。

あっちの世界と、こっちの世界。
その境界線は実際のところ意外にも曖昧で、脆く、すぐに行き来できるものなのかも知れない。
そして、それらはすべて、心の空虚が影響しているのかも知れない。
その元を辿れば、愛の喪失、やっぱり、愛。愛。愛。愛がむきだされた映画を観て、僕は何か物凄いことを知った気になり、自己顕示を恥じることなく、愚かに文章を書き連ねる。
誰かとつながりたいがために。

「僕の心をあなたは奪い去った 俺は空洞 でかい空洞 すべて残らずあなたは奪い去った 俺は空洞 おもしろい」

この歌詞にすべてが要約されているかのようだった。
結局はそれは単に、おもしろいのかもしれない。

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